「フェルマーの最終定理」は、序章にすぎない 青木薫が「数学の大統一に挑む」を読む
まず第一に、フレンケルは数学を諦めなかった。少年時代の彼が、初めて淡い思いを寄せた相手は量子物理学だった。しかし、たまたま家族ぐるみの付き合いのあった数学者が、量子物理学を理解したければ、まずは数学を知らなければならないと教えてくれた。それをきっかけにフレンケルは、それまではつまらないと思っていた数学に興味を持つ。そして数学のことを知れば知るほど、その魅力から逃れられなくなっていく。
立ちはだかる人種の壁
しかし、ユダヤ人を父として旧ソ連に生まれた彼には、数学者になるという夢が叶う見込みはほとんどなかった。旧ソ連に生まれたユダヤ人の数学者といえば、ポアンカレ予想に証明を与えたグリゴーリー・ペレルマンがいる。ペレルマンについては、『完全なる証明』(マーシャ・ガッセン著 拙訳 文春文庫)に詳しいが、彼は旧ソ連で発達した、特殊な早期英才教育を受けている。また、レニングラードという大都市に生まれたペレルマンは、数学のエリート教育を行う数学専門学校に進むこともできた。ソ連に生まれて数学をやろうという才能ある若者は、それらのエリート高校から、名門モスクワ大学やレニングラード大学に進むのが普通で、ペレルマンはまさにその道をたどることができたのだ。一方、地方都市に生まれ育った本書の著者フレンケルは、特殊な早期教育システムも、数学のエリート高校に学ぶこともなかった。
さらにペレルマンとフレンケルは、大学進学について決定的に異なる――まさしく運命を分けるような――経験をした。旧ソ連には隠然たるユダヤ人差別が存在し、モスクワ大学やレニングラード大学はその中でもとりわけ過酷な差別方針を採っていたのだが、ペレルマンは周囲の大人たちに守られて、その差別的制度をすり抜けることができた――彼は、自分がユダヤ人であるという現実を直視することなく、いわば目をつぶったまま差別の網をくぐり抜けたのである。それとは対照的に、われらが著者フレンケルは、モスクワ大学の歴史上もっとも差別が過酷だった時期に、力学数学部の入学試験に体当たりした。そして――全問正解したにもかかわらず――ボロボロに叩き潰されてしまう。その入試のようすが語られるくだりは、あまりのめちゃくちゃさに開いた口が塞がらないほどだ。結局、彼は工業系の大学に進んで応用数学を学ぶことになった。
普通ならば、そこで諦めるところだろう。入試での経験だけでもひどいダメージを受けてしまいそうだが、たとえその傷を乗り越えて数学を続けたとしても、大学院に進める見込みはなく、数学者としての職が得られる見込みはさらにない。ユダヤ人差別の目に見えないシステムが、幾重もの高い壁を作って、フレンケルの行く手を阻んでいたのだ。それでも彼は諦めなかった。普通の大学生として勉強する傍ら、ひそかに純粋数学の研究を続けたのである。そして、まだ学部すら卒業しないうちに、なんと、ハーバード大学の客員教授に招聘されることに……。フレンケルは、蜘蛛の糸のようなチャンスを懸命に手繰り寄せて、文字通りフェンスを乗り越え、さらには「鉄のカーテン」をすり抜けて、まんまと「体制にハッキング」したのである。
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