佐藤氏がサトウ・カンパニー前身のブラジル・ホームビデオを設立したのは1985年。当時、雨後の筍のように各地でオープンしたレンタルビデオ店を相手に、ビデオソフトを販売していた。
理工系名門大学を中退して臨んだ新興ビジネスだったが、20代半ばの若者にワーナーやディズニーなどの大手と契約する資金や経験はなかった。
そこで、日系3世であることを活かして開拓したのが、ニッチな日本のコンテンツだった。ブラジル企業として、初めて東映とライセンス契約を結んだのが同社だ。
「アニメでは『母をたずねて三千里』や『超時空要塞マクロス』、『宇宙海賊キャプテンハーロック』、映画では今村昌平監督の『楢山節考』などから始めました。作品はすべてポルトガル語に吹き替えて、VHSの製品にしました」と佐藤氏は振り返る。
空前の特撮ヒーローブームの終焉
佐藤氏が映像ビジネスを始めて間もない1988年、ブラジルのテレビ放送の歴史に足跡を残す出来事が起きた。「巨獣特捜ジャスピオン」と「電撃戦隊チェンジマン」の同時の放送開始だった。
日本では鳴かず飛ばずだったそれらの作品は、特撮ヒーロードラマに免疫のないブラジルの子どもの間で大流行。ブーム絶頂期にはサッカー大国の子どもたちをテレビに釘付けにし、草サッカーを後回しにさせた。
これに触発された佐藤氏は、東宝から「電脳警察サイバーコップ」のライセンスを得て1990年に地上波放送にこぎつけ、上々の視聴率を稼いだ。
だが、特撮ドラマの人気は、熱が冷めるのも早かった。
すべてのテレビ局が特撮ドラマを放送しはじめ、多いときは1日に17作品が放送される過剰な状態に。当然視聴者から飽きられ、特撮ドラマを最も多く放送していたテレビ局が資金難により売却されたことなどから、ブームは終わってしまう。
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