「ママ、聞いたね? うちにお土産げな。聞いたね? 英ちゃんが、うちのことば、『こずえさん』って呼んだとよ。かわいかやんね。かわいかやんね」
大きな声に吸い寄せられるように彼女を見た。彼女は大粒の涙をこぼしていた。いまでも、目を閉じると、泣き笑いするこずえちゃんの姿が浮かんでくる。
私は、見た目や酒癖、そして職種といった、表面的な理由で彼女を「怖い人」と決めつけていた。酒に酔った彼女が歌い始めると、なんとなく気持ちがのらずに、店の外に出て、川べりをあてもなくさまよったりした。
実は、彼女は彼女で、私に近づこうとしなかった。子どものいなかった彼女も、ママの息子である小学生とどう接してよいのかわからなかったのかもしれない。
だけど、私の小さな贈り物は、彼女の心の壁を壊し、彼女の涙は、決めつけという名の<偏見>の存在を私に教えてくれた。このできごとがあってから、彼女は、私をまるで自分の子のように可愛がってくれるようになった。私もこずえちゃんが大好きになった。
店を去ったこずえちゃん
ところが、ほどなくして、こずえちゃんは店を去っていった。お客さんのキープしたお酒に、たびたび、手をつけたことが理由だった。客足が遠のいていったことを母はいつもぼやいていた。おそらく苦渋の決断だったのだと思う。
ただ、クビにはしたものの、母は、彼女のことをとても気にしていた。知人のお店に雇ってもらったと聞きつけると、私をその店に行かせ、彼女が元気かどうかを確かめさせた。彼女は新しいお店でも陽気に「夜汽車」を歌っていた。
いま思うと、母は、大酒飲みだったこずえちゃんの体を心配していたのかもしれない。
その予感は見事に的中した。
久しぶりに訪ねてみると、お店にいるはずのこずえちゃんがいない。ママさんの話では、昨日、今日と、お店に来ておらず、連絡がつかない、ということだった。話を聞いた母は、慌ただしく、こずえちゃんを知る仲間に電話をしはじめた。
ほどなくして、彼女はお酒の飲み過ぎで倒れてしまい、そのまま意識を失った、と知らされた。次の日、私は早退し、母と2人で病院を訪ねた。
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