上司の気難しい表情すら管理する社会の結末 Z世代の不快を消す「デオドラント化」の限界
でも、「微細」なのである。マイクロアグレッションを犯すことが、たとえば職を追われるとか、プライベートにまで侵食するようなバッシングを受けるとか、いわゆるキャンセルカルチャーの対象になるほどの重さだといえるのだろうか。
マイクロアグレッションはまた、多くの場合無意識だとされる。つまり悪気はないのだ(悪気がないから言っていいわけでは、断じてない)。かつ、言ってるほうは無意識なのだから、放っておいても改善は望めないだろう。
それなら、直接伝えて変えてもらうとか謝罪を求めるとか、第三者が毅然と注意を促すとか、そういった「微細な」行動で修正していくのがよいだろう。微細な問題をつど微細に解決して、社会は円滑に回っている。
ただ、現代社会ではそんなヌルいことを言ってもいられない状況がある。
デオドラント化する社会
大手メディアで、ある起業家がインタビューを受けていた。職場関連のコンサルティングビジネスらしい。記事の題には、こんな言葉が並ぶ。
「心を壊す職場、全廃作戦」
「気むずかしい表情の上司は存在がストレス」
要は、職場で上司が不機嫌そうな顔をしていて、それがメンタルヘルスに悪影響を及ぼしているので、職場の改善を促すというビジネスらしい。誰かを守ろうとするまっすぐでキラキラした正義感と、おどろおどろしい言葉のコントラストに、ちょっとおののいてしまった。「悪人を全員ころして、世界平和を達成!」みたいなスローガンだ。
「上司 不機嫌」でネット検索すると、悲しくなるような言葉が並ぶ。「めんどくさい」「怖い」「パワハラ」……。
むろん、日常的に、意図的に威圧するなどはパワハラに該当するし、対応措置が必要だ。ただ、問題は「気むずかしい表情」である。それはあまりに微細ではないだろうか。そもそも、上司の表情を不快の根源だとすること自体は、上司へのアグレッションにはならないのだろうか。
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