「団塊的・昭和的・高度成長期的」思考からの転換期 「人生の分散型」社会に向かうビジョンと方向性

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「『ウチ』『ヨソ』の意識が強く、この感覚が先鋭化してくると、まるで『ウチ』の者以外は人間ではなくなってしまうと思われるほどの極端な人間関係のコントラストが、同じ社会にみられるようになる。知らない人だったら、つきとばして席を獲得したその同じ人が、親しい知人(特に職場で自分より上の)に対しては、自分がどんなに疲れていても席を譲るといったような滑稽な姿がみられるのである。実際、日本人は仲間といっしょにグループでいるとき、他の人々に対して実に冷たい態度をとる。」

「農村型」と「都市型」のコミュニティ対比

納得感のある記述だが、私自身はこうした話題を、「農村型コミュニティ」と「都市型コミュニティ」の対比として論じてきた(拙著『コミュニティを問いなおす』)。すなわち「農村型コミュニティ」とは、“同質的な者からなる均質なコミュニティ”であり、そこでは「空気」や「忖度」といった非言語的なコミュニケーションが重要で、いわゆる同調圧力が強く、またメンバーは概して固定的で外部に対して閉鎖的な傾向が強い。

これに対して「都市型コミュニティ」とは、“独立した個人が集団を超えてゆるくつながるコミュニティ”で、個人間の多様性が大きく、言語的なコミュニケーションの重要性が高いという特徴をもち、集団の流動性ないし開放性が相対的に大きい。

読者の方はお気づきのとおり、先ほど団塊世代に特に目立つ特徴として挙げた「ウチ―ソト」の強い区別という点は、他でもなく以上のうちの「農村型コミュニティ」的な関係性や行動パターンに呼応している。

これはある意味で当然の帰結であり、なぜなら団塊世代が生きた時代とは、端的に言えば日本において農山村から都市への“人口大移動”が急速に進んだ時期でもあったからである。そして都市に移った日本人は、もともと持っていた「農村型コミュニティ」的な行動パターンをそのまま都市に持ち込み、それを「カイシャ」(および核家族)という集団の中で維持したのである。

「カイシャ」と核家族という“ムラ社会”が互いに競争しつつ、急速な経済成長を成し遂げたというのが「昭和」あるいは「高度成長期」の本質だった。そうした行動様式が、工業化社会そして「追いつけ・追い越せ」型の発展にとってはうまく機能したのである。

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