「団塊的・昭和的・高度成長期的」思考からの転換期 「人生の分散型」社会に向かうビジョンと方向性
本稿の冒頭でも言及したように、私はこうしたことを、昭和という時代は“集団で一本の道を登る”ような時代だったという言葉で表現してきた(『人口減少社会のデザイン』等)。そのような昭和的・団塊的モデルを、物質的な豊かさが成熟し、人々の価値意識も大きく変化していった平成そして令和の時代にも維持しようとしたことが、“失われた○○年”を招いた最大の原因なのだ。
若い世代の行動パターンの変化
ちなみに「ウチーソト」の強い区別という点について補足すれば、もともとそれは上記の「農村型コミュニティ」に特徴的なことであり、このこと自体は日本社会の2000年に及ぶ“稲作の遺伝子”(比ゆ的な意味での)の歴史の中で培われた傾向性だった。
しかしこれに加えて、団塊世代の生きた高度成長期においては、それが強い“上昇”のベクトルと結びついたため、集団の凝集力あるいは排他性を強める「垂直軸」がきわめて強固なものとなり、「水平軸」つまり集団の外部への配慮や関心は大きく減退した(しかも集団のソトの人々は“競争相手”として潜在的な敵対性とともに認知された)と考えられるのである。
同時に、希望ないし期待を込めて言えば、ここ数年、こうした「ウチーソト」の強い区別という行動パターンは、若い世代に向かうほどかなり変化していると私は感じている。
ささやかな一例として、新幹線で自分の席を後ろに倒す際に「下げてもいいですか」と声をかける人が増えているという点を、拙著『科学と資本主義の未来』のあとがきに記したのだが――ちなみに私はこの8年ほどほぼ毎週のように新幹線で京都と東京を往復している――、この例に限らず、たとえば、
●ドアを開けて通る際に、後に続く人のためにドアを支えて待つ
●ちょっとしたことで見知らぬ他者とコミュニケーションをとる
といった、ささいな日常の中での「見知らぬ者」同士の「水平的」なコミュニケーションが以前よりも広がっていると感じられる(逆に、団塊世代的な“先を争う”ような行動が明らかに減っている)。
実は以上のような例は、2009年に出した拙著『コミュニティを問いなおす』の中で、「ヨーロッパなど海外に比べて日本においては見知らぬ者同士のコミュニケーションが非常に少ない」という事例として挙げた類のものだったが、ここ数年、そうした傾向が徐々に変わる兆しを見せている。
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