ゲーセン「大量閉店」の背後にある本質的な変容 「千円でだらだら」若者の消費欲を満たせてない

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

もちろん、コロナ禍による大打撃もあった。しかし、実際、コロナ禍2年目の2021年には売上高が復活していたこともあり、コロナでの打撃以上に、このようなコスト面での問題が大きな影響を与えているといえる。

実際、帝国データバンクによれば、ゲームセンターでは、100円の売り上げに対して利益が6円というデータもあり、その厳しさがわかるだろう。

このように、コスト的な問題がある一方で、筆者は、ゲームセンターの「空間的な価値」が減少してしまったのではないか、と考えている。

「だらだら過ごす」空間としてはもう厳しい…?

最近、筆者は、筆者(26歳)と同年代か、それより下ぐらいの年齢の人を中心に、彼らが都市をどのように使っているのかを調べている。具体的には、彼らがどのような場所で滞留したり、居座るのかを調べている。

その中で感じるのは、特に若年層を中心に「せんだら」(1000円以内でだらだらできる場所)を求める人が増えてきている、ということだ。

例えば、その需要にうまく乗ることができているのが、チェーン系のカフェ。特に都内の場合、どのカフェに行っても混んでいるが、これはある程度の値段で長居することができるからだ。

東京の場合、公園や広場などでだらだらする場所があまりなく、結果としてこうしたカフェがその受け皿になっている。筆者がこれに関するポストをXでしたところ、大きな反響があり、これは多くの人が思っていることのようだ。

谷頭和希のXのポスト
筆者が何気なくしたポストに、多くの賛同が寄せられた(出所:筆者のXより)

若者にとって「せんだら」需要をどのように満たせるのかが重要であり、そこにうまく適応できている店が強みを持っていると感じている。

そして、この「せんだら」需要にうまく乗れていないのが、昨今のゲームセンターなのではないかと思うのだ。

実は、ゲームセンターの歴史をたどっていくと、そこは、若者にとっての「せんだら」需要を満たしていた場所だったことがわかる。ある時代まで、ゲームセンターは若者がぶらぶらと集い、コミュニケーションを取る場所として機能していたようだ。

次ページゲーセンはかつて「若者がたむろする場所」だった
関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事