「東京ミドル期シングル」とはどんな人たちなのか 「地縁血縁」を嫌ってきた人たちと「孤立化」
「女性は母親との交流頻度が高く遠方でも維持されています。病気や災害時などの困ったときは、親やきょうだいをあてにしています。一方、親の介護に関して女性の5割、男性の3割は自分が担うとしています」
端然として切れ味のよい分析であるが、総じていえば、女性シングルにさほど悲観しているようには見えない。というのも、女性はコミュニティとの関わりが比較的密であるためで、「親、きょうだいとの関係は女性によって維持されているのではないか」との仮説が提示されている。もちろん例外はあるだろうが、少なくとも私の周囲を見る限り、体感としてその仮説を否定する理由はなさそうだ。
男性シングルの孤立化
どちらかと言えば問題なのは、男性シングルである。たぶん東京ミドル期シングルを掘り下げるにあたって慎重な配慮を要する「急所」であったはずだ。たとえば次のような記述が見える。
「特に男性シングルの孤立化が濃厚です。家族に代わる社会関係は豊かになっていないというのが筆者の問題意識です」
孤立化--。
ついに出た。人間は何かにアイデンティティを付着させなければ生きられない。その付着させるべき対象を失ったとき、どのような恐ろしい状況が待ち構えているか、想像に余りある。しかも、真に孤立した人は自己の孤立化を否認する。
ここからは少しばかり私の偏見が交ざる。
男性シングルはコミュニティ感覚が薄い。これはいまだに会社に身も心も依存するよう飼いならされてきた結果ともいえる。それにコミュニティは経済とどこか折り合いがよくない。会社にアイデンティティを担ってもらえるうちはいい。相手にしてもらえているうちはいい。
やがて人は年をとる。会社とともに社会的自我を形成した人たちも、やがて静かに職場を去り、中には介護が必要な場合さえ出てくる。その後どうなっていくかは、なんとなく想像のつく通りだ。いわば無縁に陥るリスクである。どれほど会社で高位に昇進しても(あるいは昇進した結果として)、船を下りたら、会話する相手がいない状態である。
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