本田宗一郎氏に学ぶ、逆境の中で夢を叶える方法 経営危機の中で世界一のバイクレースに挑戦

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1954年。好景気が続いていた日本に不景気の波が押し寄せていました。

そんな中、「世界一でなければ日本一じゃない」と、本田宗一郎率いるHONDAは世界をめざすのです。まだたった1種類のバイクをちょろちょろと輸出しはじめたばかりのHONDAが、世界一のバイクレース、イギリスのマン島TT(ツーリスト・トロフィ)レースに出場すると宣言。

宗一郎47歳。本田技術研究所として創業して8年目のことでした。

このレースに出場するのは世界のトップメーカーばかり。ですから、ここでの優勝は、世界一のバイクメーカーであることの証明になります。しかし、まだ町工場が一皮むけたに過ぎなかったHONDAには無茶な挑戦でした。

しかし、ミスターHONDAの頭の中にあるのは、「世界一こそ日本一」。

目標が高いほど燃えてきます。それから1カ月後、HONDAの全社員に、ある文書が回ります。

「TTレースに出場、優勝するために、精魂を傾けて創意工夫に努力することを諸君とともに誓う」

苦しいときだからこそ、夢が必要

ところがこの直後、トラブルが押し寄せます。主力製品にトラブルが発生。会社設立以来最大の経営危機に見舞われ、レースに参加している場合ではなくなります。

しかし、宗一郎は「苦しいときだからこそ、夢が必要なんだ」と、強硬にマン島レースへの視察ツアーへと出発します。初めて見るTTレース、その迫力に度肝を抜かれた宗一郎。HONDAのマシンの3倍はありそうな馬力です。

「こりゃあ、考えたこともないレベルだわ」と思わず弱音を吐いた。

しかし、「できない」「ムリ」「不可能」と言われると、逆にワクワクしてしまう宗一郎には、「あきらめる」という選択肢はありません。

無謀なる夢への挑戦です。

しかし、結果的に、社内はこれで一気に活気づくことになったのです。

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