本田宗一郎氏に学ぶ、逆境の中で夢を叶える方法 経営危機の中で世界一のバイクレースに挑戦

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小
本田宗一郎
本田宗一郎氏の挫折と“なぜ彼が復活できたのか”をご紹介します(写真:dpa/時事通信フォト)
偉人の伝記を読むと、最悪な日は、不幸な日ではなく、新しい自分が始まる日であることがわかる。本稿は、『今日は人生最悪で最高の日』から、本田宗一郎氏の偉人伝を抜粋・再構成のうえ、本田氏の挫折と“なぜ彼が復活できたのか”をご紹介します。

「機械が空を飛んでるうぅぅ!」

1903年は、ライト兄弟が世界で初めて空を飛んだ年。

その3年後の1906年に生まれた本田宗一郎。

実は、飛行機が宗一郎少年のハートに火をつけたのです。

宗一郎、小学校5年のときです。静岡県の和地山練兵場で、飛行機の曲芸飛行のイベントがあることを聞きつけます。

宗一郎の自宅から片道20キロ以上の距離があります。だけど宗一郎は、どうしても飛行機を見てみたい。その一心で、親にも内緒で、大人サイズの自転車に無理やりまたがり、凹凸のジャリ道をフラフラになりながらもひとりで向かったのです。

なんとか辿り着いたものの、入り口で大問題が勃発。「ええええ。入場料払うの!?」。

親に黙ってきた宗一郎少年に入場料を払うだけのお金などありません。そこで、宗一郎は大きな木を見つけ、その木によじ登った。すると、ちょっとだけ見えた……。

「おおおおおおおおおおおおおおおお。飛行機だ。機械が空を飛んでるぅぅぅ!」

宗一郎は、生涯、その感動が忘れられなかったといいます。

これが、後に、世界のHONDA(本田技研工業)を生み出すことになる、ミスターHONDAの少年時代です。

関連記事
トピックボードAD
キャリア・教育の人気記事