不登校「数を減らす意味ない」慶大教授が語る根拠 ほろ苦い記憶「不登校だった私を救ったもの」

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あれから30年以上の時が流れ、私は4人の子を持つ父となった。

仕事が詰まってくると、つい会話の時間が減る。いらだちもする。でも、身勝手なもので、自分の仕事が休みになると、子どもたちとの時間を過ごしたくなる。学校なんて休んでどっか行こうか、そんな不謹慎なことを言ったりもする。

そしてふと気づく。きっと母も同じだったのだろう。彼女は、ただ、私と一緒にいたかっただけなのだ。あんたは四十の恥かきっ子、とよく母は言っていたが、深夜に働くスナックのママにとって、最愛の恥かきっ子と一緒にいられる唯一の方法、それは学校を休ませることだったのだ。

生前、母が一度だけ、私にこう言ったことがあった。

「うちはあんたから一瞬も目をはなしたことがなかったとよ」

この一言に、私が私でいられる理由のすべてが詰まっている。

大切なのは「信じてあげる大人がそばにいること」

いじめ、病気、勉強や発達の遅れ、不登校にはいろんな原因がある。だけど、大切なのは、その子のことを信じてあげられる大人がそばにいることなんだと思う。家族でも、コミュニティでも、施設の誰かでもいい。そばにいてくれて、信じてくれて、そっと眼差しを振り向けてくれさえすれば。

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行きたくても行けない子。はじめから行く気のない子。学校に対する価値観も、生きづらさも人それぞれだ。でも、もし、その1つひとつの生きづらさと向き合わず、数字合わせで不登校児の総数を減らそうとするのなら、そんなものは、親や教育者の自己満足でしかないのではないか。

もっと本気になって、大人の眼差しを感じられず、他者から信頼される喜びを感じられない子どもの数を減らしたい。そんな社会を作りたいからこそ、私たち大人は、学び、知り、考え、そして、どんなに辛くても、声をあげていかなければならないのだ。

井手 英策 慶應義塾大学経済学部教授

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いで えいさく / Eisaku Ide

1972年生まれ。東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。日本銀行金融研究所、東北学院大学、横浜国立大学を経て、現在、慶應義塾大学経済学部教授。専門は財政社会学。総務省、全国知事会、全国市長会、日本医師会、連合総研等の各種委員のほか、小田原市生活保護行政のあり方検討会座長、朝日新聞論壇委員、毎日新聞時論フォーラム委員なども歴任。著書に『幸福の増税論 財政はだれのために』(岩波新書)、『いまこそ税と社会保障の話をしよう!』『18歳からの格差論』(東洋経済新報社)ほか多数。2015年大佛次郎論壇賞、2016年慶應義塾賞を受賞。

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