YouTuberの論理がZ世代に与える絶大な悪影響 苦言を呈する「アンチ」に「アンチ」する世界観
ファンは、推しの投稿にときめく。「酔っててもめっちゃかっこいい〜」「カッコよすぎて死にそうです。惚れてしまった」。しかし、アンチも黙っていない。「こんなところで撮ったら迷惑だよ」「コンビニで踊るのは非常識だし迷惑すぎる」。
そして、インフルエンサーの返しの一撃。
「コンビニで踊ったらアンチが沢山来ました」
と、ホントに投稿したらしい。
「アンチ─アンチ」がもたらすビジネス上の利益
コンビニで踊るのは非常識で迷惑だよ、そんなのネットで公開するなよ、というコメントは、インフルエンサーやファン相手には必ずしも常識的なリアクションだとみなしてはもらえない。現代における価値観の多様化と相対主義の跋扈は、もはやそんな常識など解体してしまっているのだ。不快な非難はぜんぶアンチ。
なぜ、そうなったのだろう。言ってしまえば、インフルエンサーはビジネスでやってて金目当て、だからだ。「客の方だけ向いておけばいい、金を落とさない相手は無視してよい」というビジネスの論理を純化させたインフルエンサーにとって、自分の味方になるかどうかで、とるべき態度がすべて決まっているのだ。
インフルエンサーはファンありきのビジネスをしている。フォロワー数や再生数を稼いで広告収入を得て、直接的にグッズなど商品を買ってくれることもある。だから、とりあえず多くの人に知ってもらって、有名にならないといけない。でも、有名になるとアンチがつきやすい。すべての行動は見張られてて、少しでも隙を見せたらアンチが殴り掛かってくる。だから、そのアンチにアンチしないといけなくなる。
アンチ─アンチすると、仲間内での結束が高まる。共通の敵を見つけて、さらに自分たちの正しさを確信する。経営組織論では、これを集団の凝集性とよぶ。アンチに負けちゃいけない、もっと応援しないと。よし、応援消費だ。投げ銭しよう。アンチ─アンチは、うまく使えば凝集性を高める材料となり、ビジネスのためにも非常に有効なのだ。
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