「管理職目指す女性が少ない」日本が直面する現実 DeNA南場会長とハイセンスジャパン李社長対談
――制限がない社会になってほしいのはもちろんですが、男女問わず、長い間働くうえでさまざまな事情で全力疾走できないことは起こりえます。そういう経験はありますか。そのときどう調整したのでしょうか。
李:私は1995年に新卒でハイセンスに入社しました。ハイセンスはその数年後に海外進出を始め、海外ポストは空きだらけでした。私は世界を見たいという気持ちが強くて、手を挙げてアメリカ、オーストラリア、ベルギーに赴任しました。
その後本社に戻って出産しましたが、娘が2歳のときに日本に法人をつくるから社長にならないかと打診されました。テレビ市場がアナログからデジタルへの移行期で、1000万台の市場をゼロから開拓できるよと言われて、「絶対やりたい」と思いました。
だから家族会議をしまして、自分は海外でもっと上を目指したい、家族に裕福な暮らしをさせるから家庭のことを手伝ってくれないかと相談しました。
兄が高齢の親を、姉が私の子どもをみてくれることになりました。姉は自分の子どもが中学生で手が離れつつあり、私の子をみる余裕があったのが大きかった。姉が手伝ってくれるから私は社長ができています。夫も背中を押してくれました。
夫が賛成しなかったらたぶん日本に来てなかった。そうして最初は日本に単身赴任して、子どもが5歳のときに姉と子どもが日本に来ました。夫も時々日本に来て、こういう環境で子どもを育てられるのは幸せだと喜んでくれた。
(母親が子どもと離れて働くことについて)中国では家族の理解があれば、ほかの人は何も言いませんよ。家族のサポートがあるかどうかは大きいと思いますが。
やりたいことが全てできるわけではない
南場:私は家族の看病で仕事を離れたことがあるんですけど、自分でそうしたいと思いました。私はそんなに我慢をしたことがなくて、仕事を休んだときも、家族の課題に向き合いたいと純粋に思ったんですけど、仮にそうしたくなくても、人としてやらなきゃいけないときもあるかもしれませんね。
さっき自分で選択ができることが重要だと言ったけれども、必ずしも自分のやりたいことが全部できるわけじゃない。生きているとどうしても対処しないといけない差し迫った課題があって、自分のしたいことに没入できないときもある。そういうときは受け入れてやっていくしかないと思います。
――看病で仕事を離れたときはすぱっと決断できましたか。
南場 :だいぶすぱっとやりましたね。気持ちも切り替わりました。
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