どういうことかというと、世界史で出てくる人物をクラスの友だちに置き換えていたのでした。そうするとイメージが湧きやすく、定着できるということでした。まるでクラスの友人を使って、頭の中で“劇”をしているかのようです。その後、私が指導した“天才”的な生徒も、同じようにして知識を覚えていたことに驚きました。
記憶は自分の中だけでとどめればいいので、ダジャレや自作の“劇”をあえて周囲に話す必要はありません。ですから、どうやって覚えているのか、表には出てこないのでしょうね。
記憶力がいい人は、その知識に対して「自分なりの意見を持っている」ものです。そして考えたり、意見を持ったりすると、記憶として残る可能性が高いのです。たとえば、身近でもこんな例があります。それは「口げんか」です。口げんかして勝つためには相手の意見をよく聞き、それに対して反論しなければなりません。「あいつはこんなこと言った!」「彼が言うことは、話が矛盾にしている。〇〇と言っているが、その後●●と言った!」など、実によく相手の言ったことを“記憶”しています。しかもそれを“いつまでも忘れない”というおまけつきです。
「よく話を聞く=考える」ことで記憶が働く
口げんかの例では、あまりに低俗なので、もうひとつ例を挙げましょう。東大生に共通する2つ目に「よく考える習慣がある」ということがあります。「よく考える=よく聞く」ということです。彼らは、人の話をよく聞いています。そしてその話に対して、自分なりの意見を真剣に考えています。これは学問としての勉強のときだけではなく、日常のちょっとした些細な話でも集中して話を聞き、考え、自分の意見を持つのです。完全に日常習慣化されているのです。こうして、「よく話を聞く=考える」ことで記憶が働いていくのです。
3つ目は、人に話をすることです。記憶力がいいといわれている人が、実はけっこうおしゃべりな人が多いことをご存じでしょうか。時として異なる人たちに同じ話を何度もしていたりもします。
彼らはよくしゃべるために「繰り返し効果」が働き、また相手にしっかり聞いてもらおうと、感情を込めて話すことでさらに記憶が強化されるのです。
あるアメリカの調査機関によると、「(一方的)講義」では内容の定着率が5%しかありませんでしたが、「グループ討議」では50%、「自ら体験する」では75%だったそうです。さらに、「ほかの人に教える」場合は定着率が90%もあったようです。
これは確かに実感できることです。生徒よりも教えている先生のほうが、学びが多く、記憶の定着率も高いということは、先生を一度でもやったことのある人であれば、おわかりかもしれませんね。私は生徒に勉強指導するとき、説明が終わった後に、必ず生徒に「自分の言葉で説明」させますが、これは理解を確かめると同時に、記憶させるための手段として行っています。
このようにみてみると、記憶力がいいということは、ある種の技術を使っているためという一面もあります。ですから、ご紹介したような方法をお子さんに教えてあげてみてはいかがでしょうか。きっと何かが変わることでしょう。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら