8月の復旧に向けて全力、より踏み込んだ支援を--民間病院の震災被害と完全復旧への取り組み
--当時の院内の状況はどのようなものでしたか。
日頃から災害時の訓練を欠かさずにやっており、非常用の食料や備品は3日分備蓄していた。しかし、3日でライフラインが通じる保証がない中で、患者さんには食料や薬を普段の3分の1減で我慢していただいた。
震災翌日には病院の周辺から水が引いたものの、市役所は3日にわたって水につかっていて近づくこともできなかった。その後、橋の代わりに敷設された長いテーブルをつたって市役所にたどり着くことができたが、当初、患者さんの搬送や電気や水、ガスの復旧について約束を取り付けることはできなかった。消防や警察からも自力での対応を求められた。
窮地を脱したのは、当院が所属する医療法人社団健育会の各病院施設から支援が届いたことがきっかけだった。東京、札幌のグループ病院などから医師や看護師、介護職員が支援に駆けつけ、食料やカセットコンロ、おむつなどの支援物資を届けてくれた。
その後も、医療スタッフの支援が続けられた。全国展開する医療グループに所属していたことは本当に幸運だった。その後、大手新聞に当院のことが大きく報道されたことで、市役所から支援物資が送られてくるようになった。
--教訓としてどんなことがありますか。
職員は震災後5日間にわたって自宅に帰ることもできず、不眠不休で患者さんへの対応に当たった。今回は4日目に応援があったが、5日間くらいは何も支援を得られないことを前提に災害対策を講じておく必要があると思った。