政治家は、聴衆に合わせて話し方を変えている。たとえばバラク・オバマ元大統領は、黒人に向かって語りかけるときと、白人に向かって語りかけるときで話し方を変えていた。
カマラ・ハリス副大統領も、民主党予備選挙の討論会で言葉を微妙に使い分けていた。たとえば、アフリカ系というアイデンティティを強調したいときは、アフリカ系アメリカ人に特有の発音や文法を取り入れていたのだ。
冷戦時代のもっとも有名なスピーチの1つで、ジョン・F・ケネディはドイツ語で「Ich bin ein Berliner」と言った。
これは「私はベルリン市民だ」という意味であり、ベルリンの人たちとの連帯、アメリカと西ヨーロッパとの結びつき、そしてベルリンの壁建設に反対する姿勢を伝える役割を果たしている。
当時、この言葉があんなにも強い印象を残したのは、英語のスピーチの中で突然登場したドイツ語だったからだ。
ほとんどのドイツ人は、若い人から年配の人まで、ケネディ元大統領のこの言葉を知っている。そしてヨーロッパ各国の学校でも、でもこの歴史的な瞬間について生徒たちに教えている。
ケネディが直感的に理解していたのは、あの日の西ベルリンで聴衆に向かって彼らの母語で語りかければ、英語で語りかけるよりも聴衆の心に深く響くということだ。
多くのスピーチの名手と同じように、ケネディもまた、言語は頭だけでなく心でも理解するものだということを知っていた。
ゼレンスキー大統領のテクニック
ベルリンでのスピーチから数十年後、今度はウクライナの戦場で、ヴォロディミル・ゼレンスキー大統領がウクライナ語とロシア語を巧みに切り替えながらスピーチを行った。
ウクライナ語を使うときはウクライナ人に語りかけ、そしてロシア語を使うときはロシア人に語りかける。英語圏のメディアや政治家を相手にするときは英語を織り交ぜてスピーチやインタビューを行い、そして外国人に語りかけるときは、その国の言葉を自分の発言に取り入れる。
外国語に堪能でない政治家でも、外国語を母語とする有権者が多くいるコミュニティでスピーチを行うときは、彼らの言葉を積極的に取り入れようとする。