イスラム国が是正したい「不自然な国境線」 世界地図から見えてくるアラブの怨嗟

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中東の地図を開けば、シリア、ヨルダン、サウジアラビア、イラクなどの国境線に直線が多く、いかにも人工的な図になっていることに、誰しも違和感を覚えるはずだ。

不自然な国境線だらけの中東地図

中東以外のほとんどの国境線は川や山、海などの自然の状況に即してひかれている場合が多く、歴史的な変化や民族の移動などを通じて自然に造成されたもので成り立っている。

いったいなぜこうなったのか? その理由のひとつとして挙げられるのは、この地帯が砂漠地帯であり、ランドマーク的なものが少ない、ということが挙げられるだろう。

だが別の見方をすれば、11世紀から始まったキリスト教徒の十字軍とイスラム教徒との攻防の結果、この不自然な国境線につながったとも言える。そのときにイスラム側が抱えた”トラウマ“が、21世紀になってひとつの決着をみたと言えるだろう。

そのエポックは第一次世界大戦である。当時、中東地域はドイツと同盟を組んでいたオスマントルコ帝国の支配下にあり、現在ある中東諸国は国家としては存在していなかったのである。

1915年当時、連合国側は戦後にこの地域を分割する協議を始めていた。案の作成は英国の中東専門外交官マーク・サイクスとフランスの外交官ジョルジュ・ピコが中心になって始められ、その後にロシア帝国が加わって1916年に協定が成立(サイクス・ピコ協定)。

それによるとシリア、アナトリア南部、イラクのモスル地区がフランス、シリア南部と現在のイラク大半がイギリスに、黒海沿岸、ボスボラス海峡、ダータネルス海峡両岸地帯をロシア帝国の勢力範囲にするとしていた。

第一次世界大戦はオスマントルコの敗戦で、この密約通りに、現在あるシリア、レバノン、イラク、ヨルダンに分割されていったのである。国境線がいかにも人工的に見えるのはこの協定があったからだ。

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