共通テスト直前!「賢い親」が子どもにかける言葉 親は「合格・不合格」以上に大切なことを伝える
「どっちでもいい」。これは、子どものこれまでの頑張りを認めてあげることです。
第一志望に合格できるのか、不合格になるのかは、誰にもわかりません。受験には運も絡みますし、運よく合格する人もそうでない人もいます。勉強時間の長さで受験の合否が決まるなら、浪人生は全員合格することになるでしょう。
模試でA判定を取っていたとしても、それは「合格率が高い」ということでしかなく、「必ず合格できる」というわけではないのです。
受験生は、どれだけ勉強しても「合格率」を上げることしかできないのです。
たとえるならば、受験がサイコロを振って「合格」と書いている目が出たら合格、「不合格」と書いている目が出たら不合格というシステムだと仮定すると、サイコロの目をすべて「合格」にすることは誰にもできません。
この場合、受験勉強をするということは、「サイコロの目を1つでも『合格』に寄せる行為」です。春の時点では「合格」の目が「1つ」だったとしても、半年頑張ったらその目が「4つ」になっているかもしれません。最後の最後まで諦めずに勉強すると、その目が「5つ」になるかもしれません。
でも、どんなに勉強しても、サイコロの目「6つ」すべてを「合格」にはできないのです。
偏差値35から2浪し、3回受験した人間として、そして今まで多くの逆転合格・「リアルドラゴン桜」を見てきた身の上として言わせていただくと、受験は、最後は「運」です。受験生の努力だけではどうしようもない領域もあります。
合格・不合格「いずれでも残るモノ」こそが大切
でも、1つだけ言えるのは、合格になっても不合格になっても、「努力した」という過程は、嘘にはならないのです。
不合格というのは、ゲームで例えるならば「ゲームオーバー」だととらえられがちです。合格は「ゲームクリア」で、不合格は負けだ、と。
でも、たとえ「ゲームオーバー」だとしても、「ゲームセット(ゲーム完了)」ではあると思うんです。最後まで頑張ったという事実は、きっと次に活かせる大きな糧になるのではないか、と。
受験生は、合格しても不合格になっても、涙を流します。「合格して嬉しい」「不合格で悲しい」と。でも、涙を流せるほど頑張ったのであれば、どちらにせよ、自分の大きな糧になっているのです。
だから親御さんができることは、「ここまでよく頑張った。結果はどうなるかわからないけれど、ここまでの努力だけで、十分大人になったと思うよ」と言ってあげることです。
親が受験の結果に拘泥していないほうが、子どもはプレッシャーを感じず、のびのびと受験することができます。逆に、親が「合格してほしい」と思いすぎてプレッシャーを与えれば与えるほど、子どもは合格から遠のいていくものです。
僕の母親は、僕が「どうかな、合格できているかな」とオロオロしていると、いつも僕を「なるようにしかならん!」と一喝していました。そういう母親だったから、僕は2浪の末に合格できたんだろうなと思っています。
みなさんも、最後は「どっちでもいい」と言って、送り出してあげてください。
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