裏金問題「安倍派」で拡大した訳と改革派への期待 政治改革の裏で温存されていた日本的慣行

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ムラ原理とは、組織のメンバーを画一主義や同調主義で拘束する秩序である。これらを基にして、経済の世界では日本的経営や企業主義が形成され、政治の世界では派閥や後援会が形成された。そして、戦後の高度成長期には日本的システムが政党、官僚組織、企業の各分野において機能を発揮した。

しかし、1990年代以降のグローバル化や情報革命の中で、洋式のルール(グローバル・スタンダード)が適用されるようになり、日本的システムは改革の対象となった。変化の過程では、従来のムラ秩序の中の「常識」や「慣行」が、洋式のルールを当てはめると犯罪になるという軋轢が起こることは避けられない。

先に変わったのは経済界であった。1990年代には、大銀行が反社会的勢力に利益を供与していたことが露見し、自殺者が出る騒ぎとなった。以後、コンプライアンスはかなり進んだ。

経済をコントロールしていた官僚組織にもその変化は波及した。今や、接待や談合はほぼなくなったと思われる。企業は競争にさらされ、生き残っていかなければならないので、ルールの変化には適応する。

日本的システムの温存が続いていた

政治の世界では、1990年前後の大疑獄事件の衝撃で制度改革が行われ、昔のような汚職は影をひそめた。しかし、政党や政治家はグローバルな競争にさらされることはないので、タテマエの陰での日本的システムの温存も続いた。今回の裏金事件は、洋式のルールと日本的システムの乖離が、ようやく政治の世界でも露見した事件と性格づけることができる。

残された問題は、ルールとホンネの二重構造が、なぜ安倍派(清和政策研究会)でかくも大規模になったのかということである。このやり口は森喜朗会長の時代に始まったという週刊誌報道もある。それにしても、栄華を極めた安倍晋三首相のもとで集金も還元も大規模になったことは疑いない。

第2次安倍政権は、史上最長を記録したが、桜を見る会や森友学園問題のように、権力の私物化やルール違反が指摘され、決して清廉潔白ではなかった。さまざまな疑惑を隠蔽できたのは、首相の権力が肥大化し、チェック機能がマヒしたためであった。

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