急逝した三井住友FGの太田CEO、「脱銀行」への意欲 大手行トップの中でも改革への意欲が特に強かった

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太田純氏(2020年12月)Photographer: Shoko Takayasu/Bloomberg

大手行トップの中でも改革に対する意欲がひときわ強かった三井住友フィナンシャルグループ(FG)の太田純社長兼グループCEO(最高経営責任者)が急逝した。

2019年の社長就任以降、「銀行はこのままでは社会から必要とされなくなる」と発信し続け、ビジネスモデルはもちろん、従業員の働き方、海外展開まで幅広い分野で変革を推し進めてきた。同社の慣例に従えば任期満了は来年度だったが、志半ばで帰らぬ人となった。

「かつては、銀行と呼ばれていた」。三井住友FGが19年に新卒採用ホームページで掲げたコピー。単なる宣伝文句ではないかとの記者の問いに対して、本気で取り組んでいると語気を強めて反論したこともあった。銀行業は大事だが、銀行である必要はないんだと続けた。

ずぬけた先を読む力

すでに常務時代から伝統的な銀行業務にしがみついているだけでは将来はないとの危機感を募らせていた。常務だった10年代頭には、いち早く銀行でも電子商取引(EC)モールを運営できるように金融庁に銀行法の改正を要望した。

オンラインショップを決済や融資に結び付けた「経済圏ビジネス」は、今や誰もが狙う世界だ。しかし、当時そのビジネスチャンスに気付き、実際に動いた大手行幹部はいなかったと金融庁幹部は明かす。伝統的な銀行ビジネスに対する危機感はもちろん、時代の先を読む力もずぬけていたと同幹部は評する。

規制業種に位置付けられる銀行業界で、変革を推し進めることは並大抵ではない。ともすれば、単に規制に従っているだけの方が無難でもある。だが、あえてそうした「安全地帯」から踏み出さなければ生き残れないというのが、太田氏の考えだった。

社長就任後、矢継ぎ早に新機軸を打ち出した。「社長製造業」と銘打ち、グループの若手行員や社員に次々と起業させた。これまでに作った会社は10社以上。すでに銀行は構造不況業種と言われて久しい。若手に成長の機会を与えなければ、見向きもされなくなる。そんな危機感も背景にあった。

巨大な銀行組織にあって、銀行員は自らの評価の減点を恐れて保身に走りがちだ。太田氏はこうした企業風土を払拭(ふっしょく)しようと、グループ内に「カラを、破ろう。」というメッセージを発信し続けた。

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