宮田 『ライフ・シフト』には、社会的開拓者(ソーシャル・パイオニア)という概念が登場します。既成の考え方にとらわれず、新しい社会を切り拓く人という意味合いです。
「社会的」とあるのは、自己実現だけを考えるのではなく、自己の外側に目を向けていくことが重要ということだと考えているのですが、自己犠牲で社会をよくするというのは違うと思うし、持続的ではない。
社会をよくすることがその人の信用につながり、結果、それで動かせる資源が大きくなるとか、責任あるポジションにつくといった経験をいかに積み重ねていけるか。
このようなことも大切だと思いますが、遠藤先生はどのようにお考えでしょうか。
失敗が許される環境づくりを
遠藤 学校に行かなくても教育を受けられる技術が整ってきたという話をしましたが、かといって自分の部屋で誰とも会わず自分の目標達成だけを考えればいいのかといったら、そうではない。
どういう社会を作るかを議論し、行動していくには、他の人と協働して何かを作るスキルを身につけなくてはいけないでしょう。ただ、これからの社会性や協働性、集団行動は、これまでとは少し違ったものとして考える必要があります。
これまで、同調圧力というか、人と違うことを選ぶのが非常に難しいという空気を学校が作ってきていた面があります。これからは、人と違うことを選ぶ勇気と、それを許す雰囲気をどう確保していくかも大事です。
大人の社会でも、失敗した人をみんなでとことん叩くという風潮がありますよね。これだと萎縮してしまう。特に子どもたちが、一回の失敗で大きく叩かれるという経験をすると一生のトラウマになりかねない。
それを避けながら、いかに失敗が許される環境を作るかというのは、大人の責任でしょう。バカなことができない窮屈さが強すぎると、社会的開拓者のような精神が育ちにくくなることもあると思います。