松浦弥太郎が「教養の圧」から距離を取る納得事情 全方向でインプットしても「わかる」が増えない

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(写真:Fast&Slow/PIXTA)
厳しい競争社会で誰もが勝者になれるわけでもない時代をどう生きればいいのか――。松浦弥太郎さんが提案するのが「エッセイストという生き方」です。エッセイを通して日々の暮らしや自分自身との向き合い方を考える書籍『エッセイストのように生きる』より、一部抜粋・再構成してお届けします。

「知る」と「わかる」を区別する

何年か前にアメリカで出版された、『Learning How to Learn』という本があります。「学び方を学ぶ」というタイトルを見たとき、まさに現代を生きる僕たちにとって必要な姿勢だと膝を打ちました。

いまの世の中は、スマホやパソコンを使えば労力をかけなくても、あらゆることがものの数秒で「知れる」ようになっています。知ること自体は気持ちがいいし、賢くなった気にもなれる。生活も仕事もうまくやれるようになりますから、いい時代だと思われるかもしれません。

しかしながら、次から次へと情報をインプットすることがあたりまえになったことで、ほんとうに「わかった」ものはどんどん減っているように僕は感じています。

「知る」と「わかる」は、まったく違うものです。

ここから少し言葉を尽くして、考えるための情報とのつきあい方についてお伝えしていきたいと思います。エッセイストのように生きるうえで、避けては通れないテーマですから。

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