まだ20代だった信長の後継者を襲う悲劇的な最期 「織田秀信」天下人に翻弄され関ヶ原の前に降る

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ここでの東軍の主力・池田輝政と福島正則が岐阜に侵攻してきたのは8月22日。秀信は、これを木曽川沿いで迎え撃ちました。しかし多勢に無勢で敗れ、岐阜城まで退却。籠城して西軍の援軍を要請します。

しかし三成ら西軍首脳は、一度は援軍の派遣を決めるものの結局、取りやめました。こうして孤立した岐阜城は翌日、攻め手の池田輝政の説得で降伏開城。わずか2日での敗北だったことから、秀信の武将としての能力には疑問を抱かれがちです。

しかし、これは、そもそもあまりにも大きな戦力差が前提としてあり、さらに池田輝政がもともと岐阜城主だったため、その攻略法を熟知していました。そう考えると秀信に同情すべき点は多々あるでしょう。もしも三成らが夜陰に乗じて電撃的に木曽川に進行し、夜襲に成功していたら歴史はひっくり返っていたかもしれません。こうした発想をもとに上梓したのが『ビジネス小説 もしも彼女が関ヶ原を戦ったら』です。

なお秀信は開城にあたり、生き残った家臣のために感状(その家臣の働きを示したもの)を認めて家臣の再就職にまで気を配ったとあります。これは単なる世間知らずの貴族大名ではないことを示すエピソードです。

どうする家康 織田秀信 岐阜城
織田秀信がたてこもった岐阜城(写真:kazukiatuko/PIXTA)

織田秀信の悲劇的な最期

ビジネス小説 もしも彼女が関ヶ原を戦ったら
『ビジネス小説 もしも彼女が関ヶ原を戦ったら』(サンマーク出版)。書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします

秀信は開城にあたり切腹する覚悟でしたが、池田輝政が説得してやめさせ、さらに東軍の中で秀信の死罪を問う意見が出ると、今度は福島正則が「自分の手柄と引き換えに命を助けてやってほしい」と家康に直訴します。

秀信は命を助けられて高野山に送られることになりましたが、これが不幸でした。高野山はかつて信長が攻めたことがあり、そのことを恨んでいた高野山は徹底的に秀信を迫害します。秀信がキリシタンに入信していたこともあるのでしょうが、結果的に秀信は高野山を追放され、その後、病死したとされています。

享年26歳。しかし、この病死は表向きであり、実際は自害したとされる説もあります。

高野山での日々は、秀信にとっては屈辱にまみれたものでした。家康は当然、信長が高野山を攻めたことを知っていたでしょうし、その高野山の感情も充分わかっていたと思われます。そのうえで助命した秀信を高野山に送ったのだとしたら……。家康の冷酷さを垣間見たような気がします。

関ヶ原の戦いで、ある意味もっとも悲劇的な最期を遂げた武将は秀信なのかもしれません。

眞邊 明人 脚本家、演出家

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まなべ あきひと / Akihito Manabe

1968年生まれ。同志社大学文学部卒。大日本印刷、吉本興業を経て独立。独自のコミュニケーションスキルを開発・体系化し、政治家のスピーチ指導や、一部上場企業を中心に年間100本近くのビジネス研修、組織改革プロジェクトに携わる。研修でのビジネスケーススタディを歴史の事象に喩えた話が人気を博す。尊敬する作家は柴田錬三郎。2019年7月には日テレHRアカデミアの理事に就任。また、演出家としてテレビ番組のプロデュースの他、最近では演劇、ロック、ダンス、プロレスを融合した「魔界」の脚本、総合演出をつとめる。

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