パレスチナとイスラエルの和平で最大の壁は何か 命がけで「2国家共存」を進める指導者は出現するか

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ヨム・キプール戦争から4年後となる1977年、エジプトのサダト大統領はイスラエルを電撃訪問し、宿敵イスラエルと国交を結びました。サダトはその後、エジプトの同胞によって暗殺されてしまいます。サダト大統領は文字どおり、命と引き換えにイスラエルとの和平を実現させました。

パレスチナにも同様な覚悟を持った指導者が現れたら、状況はガラッと変わるでしょう。平和への固い意志を持ったカリスマ的な指導者なら、問題は解決に向けて大きく進展すると思います。これはラビン首相がそうであったように、イスラエル側にも言えることです。

サダトとメイールの対話

1977年11月、イスラエルを電撃訪問したサダトを迎えた1人に、ヨム・キプール戦争時の首相ゴルダ・メイールがいました。彼女は戦争の責任を取って1974年に首相を辞任し、サダトを迎えた時はガン闘病中でした。そしてエジプトとの平和条約を見ることなく、翌1978年に他界しました。

たにうち・いさく 1972年大阪生まれ。ユダヤ・イスラエル専門の出版社ミルトス社社長。ヘブライ大学ヘブライ言語学科、ユダヤ学学科卒。ミルトス・ヘブライ文化研究所発行の、ヘブライ語聖書対訳シリーズの編集に携わる。著書に『今日から読めるヘブライ語』など(写真・本人提供)

ゴルダは会見で次のように述べています。

〈何年も前に尋ねられたことがあります。「平和はいつこの地域に、この国に、近隣諸国に訪れると思うか」と。私の答えはこうです。「いつの日かはわからないが、どうなったら平和が来るか知っている。それは、偉大な指導者がアラブの国から出現する時、彼がある朝目覚めて、戦場で倒れた自分の同胞と息子に申し訳ないと思う時、その日こそ、私たちと彼らに平和が始まるでしょう」〉

これに呼応して、サダト大統領は次のように述べました。

〈メイール女史と私が共に始めた和平プロセスが継続し、繁栄することを希求しようではありませんか。イスラエルとアラブ世界に住むすべての寄留者、婦女、人々が満足する平和を願おうではありませんか。〉

イスラエルとエジプトは、この共同会見から約1年半後の1979年3月、「エジプト・イスラエル平和条約」が締結されました。こうした偉大な指導者がパレスチナ側から出現するならば、真の和平が実現するでしょう。

福田 恵介 東洋経済 解説部コラムニスト

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ふくだ けいすけ / Keisuke Fukuda

1968年長崎県生まれ。神戸市外国語大学外国語学部ロシア学科卒。毎日新聞記者を経て、1992年東洋経済新報社入社。1999年から1年間、韓国・延世大学留学。著書に『図解 金正日と北朝鮮問題』(東洋経済新報社)、訳書に『金正恩の「決断」を読み解く』(彩流社)、『朝鮮半島のいちばん長い日』『サムスン電子』『サムスンCEO』『李健煕(イ・ゴンヒ)―サムスンの孤独な帝王』『アン・チョルス 経営の原則』(すべて、東洋経済新報社)など。

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