上場企業辞め「長友選手のシェフに転身」掴んだ道 きっかけは"夜中3時"に送ったTwitterのDM

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加藤さんは「元、上場企業の会社員」 の「アスリート専属シェフ」という異色の経歴を持っている。 彼が会社を辞める決心をしたのは弱冠22歳 。高校卒業後に就職した上場企業を辞めて料理家を目指した背景には、建築家の父親と料理上手の母親の影響があったという。

「サラリーマン生活は順風満帆で、何も苦労はありませんでした。一方で定年を迎えて60歳になった頃のことを考えると『違う道もあるのではないか?』と思ってしまう自分がいた。建築家の父の影響で、表現者として世の中に爪痕を残したいという気持ちが、心に燻っていたのです。

表現のなかで料理を選んだのは、母の影響です。母は料理上手で、その味で育った僕は味覚には自信がありました。おいしいものを食べさせてもらっていたということが、自分の財産だと感じていました」

若さと情熱で会社を辞めた22歳の加藤さんは、しかし早々に挑戦の壁にぶつかることになる。

「会社を辞めた当初は『失敗だった!』と思っていました。

22歳にして仕事の成果や行動のすべてをマネタイズしていかなければならない世界に、飛び込んだわけです。当然のごとく最初は自分の知識やスキルがまったく役に立たず、自信喪失の日々でした。

父への尊敬だったり、母の手料理への想いだったり……。それは僕にとっては紛れもない財産ですが、いってしまえばありふれたもの。若者が持っている自信の根拠なんて、往々にしてそれぐらいのものです。しかしだからこそ、『そこを土台にどうやって自分自身を作っていくのか?』ということを、考え抜きました」

天啓を受けた、ある出来事

努力家の加藤さんは、懸命に修業に打ち込み、横浜のレストランでシェフを任せられるまでになる。転機が訪れたのは、料理の道を選んでから5年後、27歳のとき。自身がシェフを務めるレストランでの出来事だった。

(写真:『今日もお疲れさま!超回復めし』)

加藤さんがシェフを務めるレストランに、サッカー選手の中澤佑二さんが訪れた。中澤さんは日本代表としてワールドカップを経験し、横浜F・マリノスで歴代最多の199試合連続出場を達成したレジェンド。その中澤さんが加藤さんの店に訪れた時のオーダーこそが、加藤さんの考え方を根本から変えたきっかけだった。

中澤さんはオーダー時、料理に対してさまざまな指示を出した。肉の調理部位から、サラダのドレッシングに至るまで、その要望は栄養学的な理にかなったもので、なおかつ非常に具体的で詳細だったそうだ。

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