「どうでもいい事」で忙殺されるタイパ世代の困難 人生という時間への「投資効率」が見失わせるもの
作家でジャーナリストのオリバー・バークマンは、ベストセラーとなった『限りある時間の使い方』(高橋璃子訳、かんき出版)で、人生は「たった4000週間」しかないと述べ、「何に注意を払うかによって、その人の現実が決まる」と主張した。
あなたの人生とはすなわち、あなたが注意を向けたあらゆる物事の総体である。人生の終わりに振り返ったとき、そこにあるのは注意を向けたことたちであって、それ以外の何ものでもない。くだらないものに注意を向けるとき、僕たちはまさに人生の一部を削ってそのくだらないものを見ているわけだ。(同上)
バークマンは、スマホの通知やネット炎上などが気になり、仕事が手に付かないのも問題だが、その仕事自体も「くだらないもの」かもしれないと忠告する。バークマンの言葉を借りるならば、タイパは本来的に「くだらないもの」を省略するか、迅速化するためにこそ切実に求められている。
タイパの有効性は適切な選択とともにある
仕事や家事、子育てはもちろんのこと、近年は副業やスキルアップ、資産運用など、将来不安に後押しされた「やらなければならないこと」が増えている。これも前述の注意の拡散と同じく「時間に追われる」理由の1つなのだが、往々にして「やらなければならないこと」が「くだらないもの」であることがありうる。
もっと言えば、選択した事柄自体が不要であるかもしれない可能性だ。副業にしろスキルアップにしろ資産運用にしろ、流行のスタイルを漫然と受け入れた結果、かえって面倒なことになる例はいくらでもある。タイパの有効性はあくまで適切な選択とともにある。
昨今のタイパ概念の拡張は、タイパが単なる小手先の技術ではなく、人生をノミとカンナで彫刻するがごときアジェンダと化し始めている証拠だ。究極的には、人生の全領域において満足度や達成感などの時間対効果を意識せずにはいられなくなるだろう。
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