「どうでもいい事」で忙殺されるタイパ世代の困難 人生という時間への「投資効率」が見失わせるもの

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タイパが2022年の「今年の新語」(三省堂)に選ばれ、世間の注目を集めるようになった際、仕事の生産性が上がることにつながるといった展望もあったが、どうも調査結果を見る限り、タイパの重視は、仕事よりもプライベートの充実に振り向けられているようだ。

時間に追われる感覚が「強くなった」要因

だが、そもそもなぜ時間に追われているのだろうか。前述の調査では約半数に当たる49.2%の人が時間に追われる感覚が「強くなった」と答えている。スマートフォンの普及やソーシャルメディアの使用時間の増加など、情報環境の変化はその大きな一因と言えるだろう。

とくにTikTokやインスタグラムなどの非活字系のソーシャルメディアの台頭は、従来のソーシャルメディアに顕著な「取り残される不安」(Fear of Missing Out:FOMO)や、スロットマシン的な刺激、セルフブランディングへの関心などを促進しており、必要以上に可処分時間を奪っている面がある。

とりわけ若い世代にとっては、交友関係、趣味、推し活(アイドルやキャラクターをさまざまな形で応援する活動のこと)などのためのインフラになっており、離脱することがほとんど困難な状態にある。そのため、必然的に倍速視聴などのタイパが要請されるのだ。

社会心理学者で作家のショシャナ・ズボフは、それをデバイスを介した「心理的な依存」であると指摘している。「ソーシャルメディアの磁力は若者たちを、より自動化された、より自発的でない行動へと駆り立てる」と(『監視資本主義 人類の未来を賭けた闘い』野中香方子訳、東洋経済新報社)。これは何も若者たちに限らない。

ソーシャルメディアは、良くも悪くも「社会的比較」の範囲を無限に押し広げた。見ず知らずの他人の容姿や行動や知識などといった客観的なデータとの比較を通じて、自己はよりそのデータに価値を置く振る舞いに終始するようになる。実際、多くの人々がソーシャルメディアにおける自己イメージのコントロールに傾倒している。

加えて、スマホ自体がコミュニケーションアプリからゲーム、ニュースに至るまでをワンストップで提供する性質上、完全なオフラインは夢物語にすぎず、注意の拡散は避けられない。実のところ、本質的な問題は、あまり重要ではない自己イメージやコンテンツなどに絡め取られ、タイパを意識せざるをえない本末転倒な状況にあるともいえる。

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