「どうでもいい事」で忙殺されるタイパ世代の困難 人生という時間への「投資効率」が見失わせるもの

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その核心にあるのは、「投資的思考」だ。人生という時間への投資効率(投資に対する利益率)を高めることが目指されるのである。

パフォーマンスを上げるために「良好な睡眠」に投資する、健康であり続けるために「適度な運動・スポーツ」に投資する、幸福度を上げるために「瞑想」に投資する……。

そのため、バークマンの「人生とは時間の使い方そのものだといっていい」という物言いは、非常に説得的である一方で、近視眼的な考え方を助長することが危惧される。少ない投資で多くのリターンを得たいと望む安易な動機によって時間投資の奴隷となる可能性だ。

余暇や空白の時間も効率化の材料にする「タイパ」

最終的にタイパは余暇や空白の時間も効率化の材料にしてしまう。最近目につく「空白の時間」「余白の時間」を作ることを積極的に勧めるビジネス書は、一見すると、タイパの反動のように映る。だが、これも「空白」「余白」に創造性の涵養や精神的な充足などの効用を見込んでいる時点で、タイパ的なものの別名といえる。

「睡眠」と同様、「空白」「余白」時間の効率的な運用による幸福度や生産性の向上が意図されているからである。スケジュールを詰め込むよりも、賢く隙間を作ったほうがさまざまな面で効果的という「急がば回れ」的なタイパなのだ。目的のない「無の時間」の追求も、結局のところ、深淵な心理的変化というリターンを期待せずにはいられない。

いずれにせよ、タイパは人生のすべての時間を投資に回そうとする厄介な特性を持っている。タイパは、わたしたちの生活を驚くほど快適にしてくれる反面、生産性とは無縁の人間関係や場の重要性を過小評価し、内省の機会を奪いかねない。そもそも、人生を倍速で生きることはできないし、恵みのある人間関係や場は一朝一夕でできるものではない。

わたしたちは、タイパ的な時間投資熱に侵されやすい時代状況を踏まえながら、タイパに支配されないようつねに自問し続けるという困難と付き合っていかなければならない。

真鍋 厚 評論家、著述家

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まなべ・あつし / Atsushi Manabe

1979年、奈良県生まれ。大阪芸術大学大学院修士課程修了。出版社に勤める傍ら評論活動を展開。 単著に『テロリスト・ワールド』(現代書館)、『不寛容という不安』(彩流社)。(写真撮影:長谷部ナオキチ)

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