安倍元総理の「国葬」議論が国を二分した理由 敵と味方を分断する政治手法がもたらしたもの
日本のことが好きだという安倍氏がなぜ「戦後体制」などの言葉ではなく、「戦後レジーム」という、一般になじみのないカタカナ言葉を使ったのかは不思議ですが、わざと直接的な表現を避けた可能性はあります。
戦後レジームからの脱却とはこんな歴史観です。
戦後レジームからの脱却
日本は敗戦後、アメリカが主導するGHQ(連合国軍総司令部)により占領されました。二度と軍国主義に走らないように、軍隊を解散させられ、戦争を放棄する憲法を押し付けられました。東京裁判では「平和に対する罪」として東條英機など28名がA級戦犯と断罪されました。こうしたアメリカが作ってきた日本の姿から脱却し、自らの手で真の独立国としての姿を取り戻したい。そのためには自主憲法を制定し、自衛隊を国防軍にしなければ。
しかし、こうした考え方をストレートに「戦後体制からの脱却」とうたってしまうと、日本が降伏を受け入れたポツダム宣言やサンフランシスコ講和条約を否定することにつながりかねません。日本独自の路線を突き詰めれば「脱アメリカ」に行き着きます。アメリカから見れば「アメリカが作ってきた体制を否定するのか?」、他国からも「軍国主義の時代に戻ろうとしているのか?」と警戒されるでしょう。
そこでわざと抽象的な表現をすることで外交上のトラブルを避けようと意図したと考えられます。
スローガンは漠然としていましたが、在任中の安倍総理は着々と「戦後レジームからの脱却」を推し進めました。経済再生(アベノミクス)で国民の支持を得て選挙に勝ち、憲法を改正し、自衛隊を国防軍にするというのが大きな流れでした。
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