安倍元総理の「国葬」議論が国を二分した理由 敵と味方を分断する政治手法がもたらしたもの
安倍氏が批判に対して敵意をあらわにする姿勢は、国会でヤジを飛ばした数の多さにも表れています。朝日新聞の調査によると、首相在任中の不規則発言は、議事録に残っている衆議院だけでも154回に上りました。民主党議員の質問中、「日教組!」「日教組どうすんだ!」と唐突なヤジを飛ばして、自民党の委員長からたしなめられたこともありました。「日教組=左翼」という昔ながらの世界観が垣間見られた言葉でした。
意にそぐわない報道をしたマスコミもまた敵視の対象となりました。選挙特番で、他局の政治部の記者が立場上しにくい質問をぶつけた私も煙たい存在になったのでしょう。
敵と味方を分け、批判に対して闘志を燃やした安倍元総理
あるテレビ番組で安倍氏にインタビューを依頼した際、「忙しい」と断られたことがあったのですが、同じ時間に別の局のバラエティー番組には出演していました。ちなみにその時、石破茂氏は応じてくれました。厳しい質問をされることがわかっていても逃げない人だとわかりました。
敵と味方を分け、批判に対して闘志を燃やす。これは安倍元総理の一貫した姿勢でした。
「初当選して以来、わたしは、つねに『闘う政治家』でありたいと願っている」
首相になる直前の2006年7月に刊行された著書『美しい国へ』(文藝春秋)の冒頭にそう記されています。「闘う政治家」とは「ここ一番、国家のため、国民のためとあれば、批判を恐れず行動する政治家」(同書)のことです。
この『美しい国へ』には安倍氏が何を目指して闘うつもりなのか、その政治思想が明らかにされています。戦後最年少の52歳で内閣総理大臣に就任し、歴代最長となった3188日におよぶ在任期間の中で、安倍氏が目指したものは「戦後レジームからの脱却」というスローガンに集約されます。
「レジーム」というのはもともとフランス語で「体制」を意味します。「アンシャン・レジーム」(旧体制)と言えば、フランス革命以前の絶対王政の社会・政治体制のことです。
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