宗教2世「苦悩」を抱え生きる彼らを救う3つの論点 「当事者」だからこそ語れる問題の本質とは

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専門家や当事者の中には、被害者だけでなく、たとえば「生きづらさ」を感じている2世をも包摂して丁寧に議論を展開している人がいる。そういった議論は今後につながる可能性に開かれている。その上で私が気にしているのは、今般、流行のように新たに現れた宗教2世の語りが、特にメディア発信のものやSNSなどから看取できる一般の語りを中心に、はなはだ被害者に寄る形でなされている点である。これを「被害者にのみ焦点を当てた宗教2世言説」と呼ぶなら、その問題点を私は指摘したい。(283ページより)

私たちは今後、議論をどう展開させていくべきなのだろうか? この問いに対して、正木氏は3つのポイントを挙げている。ひとつひとつを確認してみることにしよう。

① 虐待レベルの被害とそれ以外の被害を分け、前者について、まずは社会としてしっかり救済対応をしていく

この点に関して見逃してはならないのが、宗教2世の被害のなかには虐待レベルのものが含まれるという事実だ。したがって、それらに対してはさまざまな施策や法律に照らした処置で即応すべきなのである。

たとえば、信仰を押しつける親が子どもに対して日常的に暴力をふるっていたら、それが宗教由来かどうかという話を抜きにして保護の検討を進めたい。(290ページより)

2世の置かれている状況はさまざま

そうしたうえで、“虐待とまではいえない2世の被害”についてはまた別の対応が必要になってくるだろう。そこで出てくるのが、2つ目のポイントだ。

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② 虐待レベルの被害と虐待レベルにまで至らない被害の両方についてより多くの声を集め、個人レベルと教団レベルの視点でそれらを見ていきながら、救済対応をとる

ここで正木氏は、「被害者にのみ焦点を当てた宗教2世原説」が周縁化された宗教2世を生む原因は、個々人や教団ごとに違うはずの信仰状況などを無視し、ひとくくりにしてしまうところにあったと指摘している。したがって、まずは2世が置かれている状況の多様さを知る必要があるのだ。

それを実践するうえで参照すべき調査として、ここでは昨年発表された荻上チキ編著『宗教2世』に掲載されている社会調査支援機構チキラボの「1131人実態把握調査レポート」が紹介されている。(「周縁化された宗教2世」について、同書ではタサヤマ氏の論稿「宗教2世を宗教被害者としてのみ論じることの問題について~荻上チキ編著『宗教2世』書評~」および同「「宗教2世」に対する同化アプローチと調整アプローチ――荻上チキ編『宗教2世』書評への再応答に代えて」も参照している)

【2023年9月29日15時35分追記】出典について追加しました。

とくに注目すべきが自由記述の回答で、そのなかには宗教由来の被害を訴えるものから、現在も信仰に対して肯定的だという意見もあるようだ。いくつかをピックアップしてみよう。

信仰を軽んじて、奉仕や集会に参加しないなら死ぬ、と言われた。体罰がひどくて、殺されそうになったことも何度もある。いつもハルマゲドンへの恐怖に縛られていた。親が包丁を持っている姿を想像するように言われ、殺してでも連れて行くと言われた。(荻上チキ、2022年、62頁)
集会や布教に行きたくないと言うと、お尻を出して電気コードで何十回も叩かれました。皮膚が裂けました。親は、宗教活動をしないと本当に世界の終わりに滅ぼされるという教団の教えを信じていたので、これも親の愛なんだと思うように仕向けられていました。(同頁)(以上、291ページより)
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