宗教2世「苦悩」を抱え生きる彼らを救う3つの論点 「当事者」だからこそ語れる問題の本質とは

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これらは身体的虐待と判断することができるだろうが、一方では次のような声もあったという。

行きたくないが、あとでなんやかんや言われるほうが面倒くさいから行っておこう、と思っていた。そして行かなかったら、不幸なことが起こったときに自分を責めてしまうと思ったので参加していた。(同書60頁) 

こちらは虐待レベルとはいえなさそうだが、それでも本人が(虐待とまではいかないにしても)被害と認識している可能性はある。

献金の額などは詳しく知らされていなかったが、離婚する父が、母が僕の大学進学のために貯めていた資金を、教団にすべて喜捨したことに怒鳴った姿を覚えている。僕自身は貧しい子ども時代を過ごし、高校を中退して働き始めたのであまり実感はないが、もし母が入信していなければ、違った人生もあったかなと思う。(同書67頁)(以上292ページより)

「生きづらさ」を感じている2世

強い口調ではないものの、「もし母が入信していなければ、違った人生もあったかなと思う」という部分からは悔しさを感じ取ることもできる。

だがいずれにせよ、各人の訴えはこのようにさまざまだ。しかし、そこに被害があるのであれば、その個別性に注目し、その被害が虐待レベルなのかを見ていく必要はあるだろう。その点を踏まえたうえで、正木氏は次のように述べている。

それを確かめるには、やはり個々の被害を「宗教2世」という大文字の主語で括って見ずに、個別に、丁寧に吟味することである。そして、虐待レベルの被害には即応し、それと並行して、虐待レベルの被害とそれ以外の声の両方を集めて実態をきめ細やかに把握できるようにすべきである。被害とまではいかなくても「生きづらさ」を感じている2世をも含み込む形で彼らの救済を推進すべきだ。(293ページより)

さて、次は宗教2世の議論を発展的にしていくためのポイント3つ目である。

③ 「被害者にのみ焦点を当てた宗教2世原説」に周縁化された宗教2世を、また、より多様な宗教2世を包摂し、宗教2世を社会問題として順次アップデートしていく

当然ながら、すべての宗教が逸脱しているわけではなく、なかにはまともなものも少なくはない。だが、そうした宗教までもが昨今の2世語りによって偏見にさらされるからこそ、周縁化された宗教2世が生まれているのだ。

だとすれば、そうした事実を広く知らせることにより、「被害だけを強調することの危うさ」を社会に訴えることができるだろう。そうすれば、宗教2世に対する議論や世論をより包摂的なものにすることができるわけだ。

そこで必要になるのが、周縁化された宗教2世の声を集める営みなのだ。
それを行った上で、収集された声をもとに2世の被害を社会問題としてアップデートしていけば、被害を受けた宗教2世に対する社会的ケアへの接続も、よりスムーズなものになるかもしれない。(299ページより)
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