以降、バロンさんの中でアメリカで家を買う計画はどんどん膨れていった。しかしそれぞれに様々な事情があり、結局人が集まらなかった。そもそも売れっ子の漫画家は日本で需要があって忙しいから、アメリカに家を買おうとは思わない。
「ただ、私の中ではもう夢が育ってしまっていて。じゃあ1人でアメリカに家を買おう!! ってなりました」
アメリカの豪邸を1人で購入
1980年。医者や弁護士などが多く住む、「ドクターヒルズ」と呼ばれる場所「ランチョ・パロス・ベルデス」に家を買った。
「孤独な生活で、スカンクやアリと格闘する日々でした。でも何より、アメリカにいること自体が楽しかった」
ランチスタイルの少し古い建物だったが、プールもついた535坪の豪邸だった。
「その後ニューヨークへ赴き、コミコンで知り合いになったマーベルの編集長に原稿を持ち込みました。子供の頃に進駐軍からもらった10セントコミックの『バットマン』のように、自分の作品がいつか出版されないかなという思いがあったんです。結果として仕事はもらえた。でも中々連載がこなかったね。」
持ち込んだ漫画は、バロンさんが新人時代に双葉社へ持ち込んだようなアメコミタッチの作品で、『西遊記』をもとにした冒険ものだった。バロンさんの絵を見た編集者は、
「君の絵は上手いが、アメリカ人の描く漫画の絵と同じじゃないか。スタイルが同じなのはいらないね。君は日本人なんだろ? サムライのハラキリモノとか、派手な芸者の話、富士山をバックにしたヤクザの話、特攻隊の話とか、そういうのを描いて持ってきてほしい」
と言った。更に、
「普通はまず遠景から始めて、それから段々とアップに近づくんだよ」
と、漫画の基礎的な描き方を説明されたという。
バロンさんの持ち込み作品はキャラクターのアップから始まるものだった。アメコミの絵柄を継承しつつも、漫画の構成は日本で劇画を描いて培ってきた手法を取り入れていた。
「当時は完全にバカにされたと思った。世界的にジャパンバッシングの激しい時代だったから、アメリカでは日本人に対する差別も結構あって、私は反動的に『そんなの描けるか!』と断ってしまった。スタン・リーは呼んでくれていたのだけど」
スタン・リーといえば『ハルク』『マイティー・ソー』『アイアンマン』『アメイジング・スパイダーマン』『X-メン』『アベンジャーズ』などなど、現在でも愛されているマーベル・コミックの原作を書いた漫画原作者だ。
「彼とは随分仲良くなったんですよね。今から思えば、スタンも歓迎してくれていたし、マーベルの編集長もアメリカでウケるには……と考えた上で意見を言ってくれていたんだと思う。振り返れば、『ハラキリモノ』『特攻モノ』の漫画を描いたら面白かったかもね。日本では散々描いていたんだし(笑)」
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