阪神が優勝すると何かが起こる「過去の珍騒動」 ファン暴走、海外メディアも"地元の儀式"に注目
表彰式が始まっても、約2000人のファンがグラウンドに居残っていたため、表彰後、トロフィーを先頭に場内一周の行進をする予定だった阪神ナインは、やむを得ず規模を縮小し、内野を一周するだけにとどめた。
それでも、藤本監督は「コーチ、選手たちがよくやってくれたことはもちろんだが、力強いファンの声援がなければ、とても優勝はできなかった」とファンに感謝の言葉を贈っており、昭和30年代ならではの大らかさが感じられる。
2年後の1964年も、終盤の8連勝で首位・大洋を大逆転し、9月30日の中日戦でリーグ優勝を決めた直後、多数のファンがグラウンドに乱入し、監督や選手を次々に胴上げする“珍光景”が再び見られた。
その後、巨人のV9時代に突入し、長く優勝から遠ざかっていた阪神は、1985年にランディ・バース、掛布雅之、岡田彰布の強力クリーンアップを軸とする猛虎打線が爆発。21年ぶりの優勝を実現する。
引き分けでもV決定となる10月16日、神宮球場でのヤクルト戦を5対5と引き分け、待ちに待った優勝が決まると、地元・大阪はたちまち熱狂の渦に包まれた。
「何でやねん。ここは大阪やぞ!」と揉め事も…
道頓堀川にかかる戎橋南側に設置された街頭テレビに見入っていた勤め帰りのサラリーマンやOLらが「やったあ!優勝や!」と歓喜の声を上げ、「六甲おろし」の大合唱。周辺はほとんど通行不能になり、“ミニ甲子園”と化した。
梅田の阪神百貨店前でも、2000人近いファンが午前1時を過ぎても帰らず、車道に飛び出して車の通行を妨害するなど、“無法地帯”になり、警官が出動する騒ぎになった。
そんな狂騒状態のなかで、ケンタッキー・フライド・チキン道頓堀店の前に置かれていたカーネル・サンダース像が「バースに似ている」という理由からファンに持ち去られ、胴上げのあと、道頓堀川に投げ込まれる事件が起きた。
翌年以降、阪神が長い低迷期を迎えたことから、「カーネルの呪いではないか?」という都市伝説も生まれたが、川底に沈んだカーネル像は、23年半後の2009年3月10日、道頓堀川下流で発見された。奇跡的生還をはたしたことにちなみ、修復後は「幸福の象徴」としてKFC関西オフィスに展示されている。