夏の甲子園で、1916年以来、慶應義塾高校が107年ぶりの優勝を遂げた。107年前と言えば、第一次世界大戦の真っただ中であり、森鴎外も健在で執筆活動を続けていた。読者各位は、1世紀ぶりという躍進に驚いたと思うが、実は「慶應」は、日本野球の「原初」の時期から深くかかわっている学校だ。
近代スポーツの多くは、明治期に日本政府が雇った「お雇い外国人」が、日本の学生に手ほどきをしたことから始まった。野球はアメリカ人のお雇い外国人教師の一人ホーレス・ウィルソンが勤務していた第一番中学の生徒に野球を教えたのが始まりだとされる。151年前のことだ。
明治期から日本野球のトップブランドだった「慶應」
第一番中学は開成学校と校名を改め、のちの東京帝国大学の前身の1つとなった。そうした経緯もあり、日本野球をリードしたのは東京帝国大学の予科と位置付けられた第一高等学校(旧制一高)だった。
草創期の野球は「一高時代」と言われ、旧制一高が圧倒的な強さを誇ったが、これに慶應義塾や学習院など私学が挑戦し、慶應が一高を破ってトップの座に就いた。この慶應義塾に東京専門学校(のちの早稲田大学)が挑戦したことから「早慶戦」が生まれ、のちの東京六大学へと発展し、野球人気は一気に高まった。「慶應」は明治期から日本野球のトップブランドだったのだ。
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