こうした状況が変化したのは、1991年に上田誠氏が監督に就任してからだ。上田氏は「エンジョイベースボール」を掲げてアメリカ流の「プレーを楽しむ」「自分で考える」野球を推進した。
この時期に慶應高には推薦枠ができる。文系スポーツ系問わず一芸に秀でた中学生を募集するという制度だ。しかし内申点は45点満点で38点以上。中学の成績も優秀でなければ入学できない。毎年40人が推薦枠で入学したが、そのうち10人ほどが野球部に入った。
こうした才能豊かな選手が入学したこともあり、慶應高は2008年、夏の甲子園に出場。1962年以来、実に46年ぶりのことだった。これ以降、慶應高は強豪ひしめく神奈川県にあって、強豪の一角を占めるようになる。2015年8月、上田誠監督の教え子の森林貴彦監督が引き継いで、今回の快挙へとつながった。
森林監督の「情報伝達の確実さ」
森林監督は慶應普通部(中学)、慶應高時代は野球部で選手だったが、大学では学生コーチに専念、一般企業勤務ののち、教員免許取得と、コーチングを学ぶため筑波大学、大学院で学んだ後に、慶應幼稚舎(小学校)教諭になるとともに母校慶應高の指導者になった。
筆者はここ数年、慶應高で取材をし、森林監督の話を何度も聞いてきたが、いつも感心するのは「情報伝達の確実さ」だ。
森林監督は幼稚舎での授業があるために、練習に出てくるのが遅れることがある。そういうときにグラウンドに行くと赤松衡樹部長が、筆者が森林監督に依頼した内容を完璧に理解して対応してくれるのだ。
高校野球部の監督というと、コーチや選手に「おう、あれやっとけよ」と横柄に指示をする人も少なくないが、そういうところはまったくない。情報伝達はきわめて正確で適切だ。
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