日本企業が優良投資家を集められない残念な盲点 「自己資本」「配当性向」という言葉に透ける課題

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似たような概念として「純資産」や「株主資本」という定義があるが(英語に直すと「Net Assets」と「Shareholder’s Equity」)、そこには「自分たちの資本」であるというニュアンスはいっさいない。

海外投資家と対話をする際に「自己資本」という言い方をしてしまうと、「ノー、ノー、君のじゃない。われわれの資本だ」と言われてしまうのは「日本企業あるある」だ。

上場企業である株式会社は、大前提として「他人のお金を預かっている」という認識を明確にするために、まずは「自己資本」という言葉を使うのをやめたほうがよいのではないだろうか。

「配当性向」も公私混同を引き起こしがち

お金の公私混同を引き起こしがちなもう1つの事例が、「配当性向」という言葉だ。この言葉は、利益がすべて「会社のもの」であるという視点に立ち、利益のうちのどれくらいを株主に対して配当として払い出して「あげる」かという考え方になりがちだ。

ある年に100億円の利益を上げた企業が、配当性向30%という施策を取れば、30億円を株主に対して配当として払い出し、70億円は今後の事業のために会社に残すことになる(「内部留保」という)。

これも順番がおかしくはないだろうか? そもそも他人のお金なのだから、とくに取り決めがなければ100億円の利益すべてを株主に対して払い出すことが前提になるはずだ。その前提のもと、「一定の条件下においてのみ」、企業は内部留保をすることが許されるべきだ。そしてそれは、お金を株主に返してしまうよりも、会社側が事業投資に回したほうが株主のためになると会社が考え、かつその考えを株主が承認した場合のみだ。

そう考えると、会社がどれだけ株主に対して払ってあげるのかという「配当性向」ではなく、会社側がどれだけ内部留保させてもらうのかという「内部留保率」のほうが合理的な考え方ではないだろうか。

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