
「苦難の歴史を歩んできた沖縄は、『命どぅ宝』をなによりも重んじ、争いのない平和な世界を切に願っています」。沖縄戦終結から80年が経つ2025年6月23日の「慰霊の日」で、沖縄県の玉城デニー知事はこのように語った。
東洋経済オンラインの特集「戦後80年 沖縄が伝える平和と現状」では、台湾出身の筆者が、沖縄の主張する「平和」のあり方やそれに基づく台湾に対する姿勢への違和感をまずコラムで指摘した。続けて玉城デニー知事のインタビューと沖縄を研究・取材し続けてきた4名の研究者やジャーナリストによる論考を配信した。それぞれが自身の専門に基づき、沖縄の歴史や現状が私たちに何を伝えているのかを論じている。
県民の4人に1人が亡くなった沖縄戦の惨劇とその教訓、重い基地負担に伴う被害、ないがしろにされ続ける住民の意思、これらから見てとれるのは、日本政府が沖縄の人々の生存権を軽視している、少なくとも沖縄から見ればそういわざるをえないという状況である。
本土防衛のための時間稼ぎとして「捨て石」となった後は、アメリカ統治の下、土地を強制接収されたうえ、米軍基地の集中を押しつけられ、いまだに自分たちの土地や社会のあり方を決める権利を取り戻せないでいる。日米という大国の取引対象とされている。
ともに「帝国」に翻弄されてきた
沖縄の歴史的経験は、一人の台湾人として「痛いほどにわかる」。台湾はかつて日本の植民地統治を受け、日本の敗戦後は中華民国に接収された。その後、独裁政権下で政治的抑圧が続き、台湾住民の意思が反映されないまま、日中および米中間の国交回復や中華民国の国連脱退といった大国間の取引が進められた。結果、台湾はいまだに国際社会で完全な主権国家として認められていない。現在では、アメリカの対中戦略における「捨て駒」となりかねない状況に置かれている。
台湾と沖縄は、ともに完全な自己決定を果たせない状態にある。
実はかつて沖縄で、台湾の置かれた状況を「痛いほどにわかる」と書いた人物がいた。詩人・ジャーナリストとして活躍した川満信一(2024年死去)である。沖縄も自らの意思で歴史を決めることができない「島孤の少数民」であることから、台湾の境遇に思いを馳せていた。ただ、川満が「痛いほどにわかる」と書き記したのは、1972年5月に沖縄の施政権が日本に復帰する以前のことだった。
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