「ビークロス」乗用車のいすゞが放った最後の輝き 乗用車メーカーとして先進的すぎた商用車大手

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そして、デザインのいすゞとして最後の光を放ったのが1997年に登場した「ビークロス」だ。後に日産自動車へ移籍した中村史郎の手による独特かつ近未来的なフォルム、ボディ下半分を無塗装樹脂とした2トーンカラーなどは現在も古さを感じない。

ただ、樹脂を多用したボディの生産に手間がかかったことや個性が強いデザイン、2ドアという使い勝手などから、4年間の日本での総販売台数は2000台にも満たなかった。現在興隆を極めるクロスオーバーSUVの先駆け的な存在だったが、時代に先んじすぎたのかもしれない。

樹脂を多用したビークロスのデザイン。個性が強すぎて販売は苦戦した(写真:いすゞ自動車)

結局、いすゞが上記RVのほかOEM乗用車の販売からも撤退したのは2002年のこと。現在、いすゞのホームページにはトラック/バスの他に商用ワンボックスとRVを見ることができるが、商用ワンボックスは日産からのOEMであり、RVはタイで生産しているピックアップ型の「D-MAX」と「MU-X」だが海外向けで日本では売っていない。

タイで生産するピックアップトラックの「D-MAX」。海外向けで日本では売っていない(写真:いすゞ自動車)

乗用車撤退は賢明な経営判断だったが…

デザイン、技術、ネーミング……時代を先取りする感性を持っていたいすゞ。もし今でも乗用車を手がけていたらどのようなクルマを生み出したのだろうか。商用車市場で確固たる地位を固めている現状を考えれば、長らく不振だった乗用車市場から撤退したことは賢明な経営判断だったといえる。

いすゞは伝統的にディーゼルエンジンに強みを持つ。しかしクリーンディーゼルが注目された2010年代にも、乗用車市場への再参入はなかった。EVや自動運転化などを契機に新参メーカーが続々参入する現在もまた再参入のチャンスかもしれないが、そうしたニュースはまったく聞こえてこない。

それもまた、経営判断としては正しいのだろう。筆者としては、ビッグホーンやビークロスを「熱かった1990年代」に記録しておきたい。

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田中 誠司 PRストラテジスト、ポーリクロム代表取締役、PARCFERME編集長

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たなか せいじ / Seiji Tanaka

自動車雑誌『カーグラフィック』編集長、BMW Japan広報部長、UNIQLOグローバルPRマネジャー等を歴任。1975年生まれ。筑波大学基礎工学類卒業。近著に「奥山清行 デザイン全史」(新潮社)。モノ文化を伝えるマルチメディア「PARCFERME」編集長を務める。

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加納 亨介 エディター・ライター

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かのう こうすけ / Kousuke Kano

物心ついた時からクルマ好き。ウルトラマンにも仮面ライダーにも興味が湧かず、少年時代はひたすらクルマのプラモデルを作り、成人してからはひたすらクルマを乗り回す生活。その果てにクルマ雑誌の編集者となった。趣味はスキーと山登り。

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