36歳「グラドル兼タクシードライバー」の生き様 月22日勤務、合間にグラビアの個人撮影会をこなす

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奈良県・橿原市で生まれ育った中島さんは、中学校まで地元で過ごし、高校は大阪の女子高に進学した。当時は何か夢があったわけではなく、漠然と進学した短大ではメイクを学んだ。

就職の際には、百貨店での化粧品販売を希望したが、採用には至らずアパレル会社の販売員となった。それでも日々数字を追いかけることにやりがいを見いだせず、1年半で退職。携帯電話のキャンギャルとして働くも突然仕事がなくなり、22歳で地元のパチンコ屋のコーヒーレディとなった。

居心地の良さもあり、30歳までこの仕事を続けることになる。転機は、職場である音楽を聞いたことだったという。中島さんが回顧する。

「冬のソナタ」を見て女優を目指す

「当時、パチンコ『冬のソナタ』のBGMが店内でずっと流れていて、それが頭から離れなくなってしまって。気になってドラマを見たんですが、チェ・ジウさんが可愛すぎて、さらにカッコよかった。同時にこのままだと私の人生は1つのパターンしかないけど、演者側であればたくさんの人生を経験できるのでは、と漠然と思ったんです。だから、私の女優になりたいという想いは、『冬のソナタ』に背中を押された形です」

周囲は既に結婚や子育て、仕事に打ち込んでおり、中島さんには彼女たちのように夢中になれることを探していた面もあった。当時28歳だった中島さんは、一念発起して関西のモデル事務所に所属することから芸能活動をはじめた。ウォーキングやポージングのレッスンを受け、主にモデルとして仕事をこなした。

30歳になる頃には、大阪で人生初の1人暮らしをはじめ、本腰を入れはじめる。しかし、関西には思い描いたような女優としての仕事はほぼなく、オーディション1つ受けるのも一苦労だった。

「私は今、本当に自分がやりたいことができているのか――」

しだいにそんな自問自答を繰り返す時間が増えた。31歳になったことを機に、親や周囲の反対を押し切り何のツテもないまま上京する。コールセンターで食いつなぎながら、オーディションを受け続け、半年後にはようやく東京での事務所も決まった。

中島由依子
31歳で上京、芸能事務所に所属した(撮影:田端杏奈)
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