学校の放射能汚染、暫定基準に安住する政府、不安が増幅するばかりの福島県民
福島第一原発の事故以来、原子力安全委員会による放射線量の安全基準はすでになじみのものになった。「このレベルだから、ただちに健康に被害はない」という言葉が繰り返されたが、放射線というものは「できるだけ多くを浴びないようにする」のが原則のはずだ。
放射線による健康被害は、「これだけ浴びればなんらかの病気が発生する」という詳細な科学的実証が充分とは言えない。また、外部による被曝と、口などから入る内部被曝による影響も具体的な実証がなされていない。個人差もある。
そのため、ある放射線量について、「このレベルだから安心」とも言えるし、「このレベルだから危険」とも言える。政府関係者は前者のほうに比重を置くもの、というのがこれまでの行動を見て判断できる。
だが、放射線量による判断よりも、前述した「できるだけ多くを浴びない」ということを判断材料にすれば、高い放射線量を記録した学校に通う子どもたちのためにすべきことは、ある程度見えてこないだろうか。
こういう指摘も出てきた。
政府が緩いほうを基準に置くのは、仮に後に健康被害が出て訴訟沙汰になった場合(そうならないことを心から願っているが)、「専門からの意見を聞いてこの基準を置いた。その基準からすれば、当時の政府の対応は問題がなかった」と言いたいがためではないか、という声も上がっている。
過去を振り返れば、訴訟となり、国や企業の責任が問われた公害関連訴訟でも、国からはそんな主張が目立つ。今回も、それをなぞろうとするのかという疑念さえ湧いてくる。
細野豪志首相補佐官は4月30日の会見で、「原子力安全委員会は年間20ミリシーベルトが適切と判断している」とし、同委員会の判断だから政府はそれに従うべきとの見解を示した。
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