超一流は「他人の評価」なんて全く気にしない ACミラン本田圭佑に学ぶ「苦境から立ち直る力」
たとえば、私たちはしばしば「あの人は運が良い」「あの人は(運を)持ってる」という言い方をします。ただ、それを言ったからといって、自分のところに「運」がやって来るわけではありません。
ACミランの超一流選手にとって、運は「向こうからやって来るもの」ではなく、「呼び込むもの」です。「運を呼び込む」とは、どのようなことでしょうか。
それは、可能性を捨てないことです。
「今日の試合は先発ではないから準備を適当にする」という若い選手と、「試合終了のホイッスルが鳴るまでベンチでいつでも試合に出る準備をしている」ベテランでは、年間に数回しかないチャンスをものにできるかどうかで、確率的に大きな違いが出ます。
試合中、残り5分に選手の脚がつって、交代のチャンスが来るかもしれない。控えだからと準備をしていなかった選手は、途中出場しても実力の半分も出すことはできないでしょう。そしてそれがその選手の実力であると判断されてしまいます。準備のできている選手は、そこで結果をきちんと出します。
元ブラジル代表の一流選手・カカのデビューもそうでした。一流は、そんなチャンスをキッチリとものにします。
これは、考え方のちょっとした違いだけなのです。それなのに、数少ないチャンスですごい結果を出す選手を見て、「あいつは運が良いヤツだ」と考えてしまうのは、あまりにも寂しくありませんか。
一般に評価する人は、そこに至る「プロセス」ではなく、結果だけを見て運が「良かった」「悪かった」と言っているだけです。華やかな表の部分しか見ていないのです。これも他人の評価ですから、当然のことなのです。
一流とそうでない者との違いは何か
一流とそうでない者との違いは、能力や技術ではありません。物事のとらえ方、考え方にもあります。最後に壁をぶち破る選手のその要因は、物事のとらえ方が7割で、潜在能力は3割くらいと思っておいてよいでしょう。
読者の中にはこう考える人もいるかもしれません。
「超一流のサッカー選手は飛び抜けた才能を持っていて、物事を考える必要のない選手だっているのではないか」
確かにそれは否定しません。
ずば抜けた身体能力。大一番でもまったく緊張しない精神力――。それをもともと備えている選手は、もちろんたくさん存在します。一方で、その価値を使いきれない選手、そして生まれ持った才能が恵まれすぎているために、若くして選手生活が終わってしまう選手もいます。
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