「バービー炎上」で気になるアメリカの原爆教育 「原爆投下は必要だった」という議論に変化も
また、ポントニさんの妻の父親は、20代で沖縄戦に軍人として派遣されており「原爆があのタイミングで投下されなければ自分は沖縄で戦死していたかもしれない」と、何度か義理父本人から聞かされることもあった。
「何かを信じることと、事実を見極めることは似ているようだけど明確に違う。それを生徒たちに学んで欲しい」とポントニさん。自国の戦争行為について批判精神を持ちつつ学ぶことは、罪悪感や違和感に向き合う行為であり「決してラクではないし、心地よいものでもないけど、それを避けないでほしい」と生徒たちに伝えている。
平和資料館で受けた大きな衝撃
原爆についてより深く学びたいと、自らの資金と時間を費やしてこの7月に広島を訪れたのが、26歳の社会科教師のザック・ナポントさんだ。
「広島平和記念資料館に入る時はさすがに緊張した。すすり泣きが聞こえてきたし、この惨状を日本の人々にもたらしたのは、紛れもなく自分の国なんだってことを改めて突きつけられたから」と彼は言う。
原子爆弾という兵器が、いかに瞬時に大量の人間を殺戮したか、そして、人体にどんな影響を及ぼしたか、資料を読み込んではきたものの、実際の展示を目の当たりにして、ナポントさんは想像以上の衝撃を受けた。「特に、生き残った被爆者たちが当時の記憶を元に描いた絵の描写のインパクトが強烈だった」。
流血しながら佇んでいる人々、川に浮かぶ無数の死体、やけどで皮膚が溶ける中、赤ん坊を抱えている母親などの絵画の写真を撮りながら、すべての展示を3時間以上かけてじっくり見た。
「アメリカから友人5人と行ったんだけど、資料館を出てきた後は、全員が座り込んで、無言でしばらく動けなかった」。
資料館を訪れる前に、友人の1人は「アメリカの博物館もそうだけど、自国に都合が悪い事実はきっと日本側は展示していないよね」と予想していた。だが、実際に平和資料館の中に入ると、導入部分の展示から、日本が中国を侵略した事実が明記されており「客観的な史実をカバーした展示だ」という印象を抱いたという。
現在20代半ばのナポントさん自身が高校生だった時には、教師から「原爆の正当性」を一方的に教えられるということは、特になかった。それでも「原爆投下は果たして戦争終結に必要だったのか?」という議論にはこれまでの人生で何度も接してきて、それにうんざりしていた。
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