……と、分かったようなことを言いましたが、物語を読んで何を「いちばん重要な対立」だと感じるかは、人それぞれです。たとえば、アンパンマンとしょくぱんまんの対立(どちらかというと「対比」かもしれませんが)が面白い、そこにやなせたかしの秘めたテーマが描かれているんだ、という人もいるでしょう。あるいは「ハリー・ポッター」シリーズであれば、ハリーとダンブルドア校長の対立の物語なのだ、と解釈する人もいるでしょう。
そう、何を対立とするかは、人それぞれ。そして、その対立こそが、「何をテーマだと考えるのか」という第一ステップに繋がるのです。たとえば「ハリー・ポッター」シリーズを考える時、
というふうに考えてもいいでしょう。あるいは、
としてもいいわけです。
物語が、いったい誰と誰の対立によって、何を描いた話なのか? それが「テーマと構造」です。
「秀美くん」と「脇山くん」の対立を見出すと……
さて、『ぼくは勉強ができない』に戻りましょう。
私はこの作品でもっとも対立しているのは、「秀美くん」と「脇山くん」だと思っています。脇山くんとは、勉強ばかりしていて、しかし女の子にモテない。秀美くんと反対のキャラクターですね。
『ぼくは勉強ができない』は連作短編集のような作品なのですが、冒頭と最後に、この脇山くんが登場します。彼は秀美くんの持つ価値観を否定してくる、世間代表、のような形で現れます。が、作中ではとってもダサく描かれている。そこまで意地悪に描かなくても……と思うくらい、脇山くんは、「ダサくてモテない」、つまりかっこわるい男の子なのです。
では、この作者が脇山くんを登場させた意味とは何か。それはつまり、世間が求める「いい子で、問題を起こさず、勉強をちゃんとする高校生」がどれほどかっこわるいか、ということを戯画化して、つまり少し誇張して描いているのですね。
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