退任する日本取引所CEO・斉藤淳氏の"後悔" 道半ばの証券市場改革、次期CEOの手腕は?

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斉藤氏は東証時代を含め8年間務めたトップの座を退く。期間中の日本株は急変動した(写真:大澤誠)

それでも、世界の資本市場に精通する斉藤氏の目には、脳裏に描いていた日本市場復活のシナリオに比べ、実現速度は遅々たるものとして映ったに違いない。斉藤氏は時としていらだち、「先走りが過ぎる」という批判を受けた。

その一端が垣間見られたのが、取引所による「取引時間拡大」の提唱のときだ。東証はアジア、欧州など海外主要取引所の取引時間帯と重なる深夜取引の導入を目指したが、コストの増加などを嫌う過半の証券会社の反対に押し切られて、2014年秋に幕切れを迎えてしまった。

また、商品先物取引所との統合による総合取引所構想に関しても、実現には至っていない。斉藤氏は4月28日の最後の定例記者会見で、「力が及ばなかった。清田氏にしっかりと伝えた(バトンタッチした)」と、自身がやり残した課題として挙げた。

さらに最近では、2014年12月に新規上場したスマホゲーム会社のgumiが、早くも今年3月に大幅な下方修正を発表、株価が暴落した“事件”も発生している。

株式新規公開(IPO)の信頼性を揺るがしたこの件に関し、「取引所(の上場審査)に問題はない」と言い切った一方で、幹事証券会社に厳しい注文をつけた斉藤氏には、証券業界から強い反発の声も上がっている。

斉藤氏が自分自身の進退に、一区切りをつけたとはいえ、日本の証券市場改革はいまだ道半ばだ。日本取引所グループに限っても、先述の総合取引所構想、コーポレートガバナンス・コードの定着などに加え、高速株式取引システム「アローヘッド」の刷新(9月24日予定)など、取り組むべきテーマは目白押しだ。

一連の改革の中では、この先、取引所と会員証券会社の利害が対立する場面も出てくるだろう。もしも対立が激化すれば、米国のように取引所外の私設市場が進化して、本家の取引所を脅かす存在にすら発展しかねない。 

債券で磨いた勝負勘

清田氏は出身の大和証券では債券畑を長く歩んだ。株式市場改革で力を発揮できるか(写真:梅谷秀司)

次期CEOとなる清田氏は、大和証券グループ出身で社長と会長を務めた。斉藤氏は野村で投資銀行部門のほかに、企画部門などを歴任したゼネラリスト的なタイプだが、清田氏は債券畑をメインステージに活躍してきたキャリアの持ち主だ。

清田氏の名前が初めて金融業界にとどろいたのは、債券部門のチーフディーラーだった1980年代である。独特の分析力と勝負勘を発揮して、野村などライバル会社の度肝を抜くような相場を張り、勝機を物にした。勝負に出る場面では、縁起を担いで、「いつも同じ勝負ネクタイを身に着ける」という逸話でも知られていた。

日本の株式市場を運営する立場と、日本取引所グループという一上場企業を経営する立場とのバランスを保ちつつ、どう改革を推し進めるのか。かつて輝きを放った清田氏の勝負勘が、今も健在であるか試される。

「週刊東洋経済」2015年5月16日号<11日発売>「核心リポート01」を転載)

浪川 攻 金融ジャーナリスト

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なみかわ おさむ / Osamu Namikawa

1955年、東京都生まれ。上智大学卒業後、電機メーカー勤務を経て記者となる。金融専門誌、証券業界紙を経験し、1987年、株式会社きんざいに入社。『週刊金融財政事情』編集部でデスクを務める。1996年に退社後、金融分野を中心に取材・執筆。月刊誌『Voice』の編集・記者、1998年に東洋経済新報社と記者契約を結び、2016年にフリー。著書に『金融自壊――歴史は繰り返すのか』『前川春雄『奴雁』の哲学』(東洋経済新報社)、『銀行員は生き残れるのか』(悟空出版)などがある。

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