退任する日本取引所CEO・斉藤淳氏の"後悔" 道半ばの証券市場改革、次期CEOの手腕は?
15年ぶりの日経平均株価2万円台乗せを花道に、日本取引所グループの斉藤惇CEOは今年6月に退任する。後継には本命視されていた、清田瞭・東京証券取引所(東証)社長が就く。
東証は企業統治の方針やルールを示した、「コーポレートガバナンス・コード」を、6月から市場1部、2部、マザーズ、ジャスダックの上場企業に適用する予定だ。企業へのガバナンス浸透を「ライフワーク」と公言してきた斉藤氏にとって、区切りのタイミングともいえよう。
功績の一方で志半ば
斉藤氏は野村証券を副社長で退社。その後、金融危機などの“後始末請負業”ともいえる産業再生機構の社長などを務め、2007年に東証の社長へと転じた。
そのはるか以前から、日本では証券不況が長期化していた。世界の主要取引所が、グローバルに行き交う投資マネーの獲得に向けて、上場商品の多様化や取引所間の合従連衡に突き進む中、東証は「周回遅れ」と酷評されながら地盤沈下していく。
時価総額、売買高などの面では、米ニューヨーク、英ロンドンの取引所に大きく水をあけられた。東証はいつの間にか、シンガポール、中国・上海といったアジアの新興勢にも、急追される立場に追い込まれていた。
グローバル競争を闘ううえで基礎体力の回復に向け、斉藤氏は東証と大阪証券取引所(大証)の経営統合に乗り出す。そしてついに13年1月、両社の統合が実現。日本取引所グループが誕生した。
その後はアベノミクスを受けた出来高の増加も味方する。2015年3月期決算は、前期比6.7%の減収だったものの、3.5%の最終増益で着地。「統合によるコスト削減効果が出た」と、斉藤氏は満足げな表情を浮かべた。
また、もう一つの課題だった上場商品の多様化も進めた。日本経済新聞社と共同で「JPX日経インデックス400」を創設。主にROE(自己資本利益率)が高い銘柄で構成される同指数の誕生は、国内企業の意識改革を促進。自己株式の取得など、積極的な株主還元に向かわせる、新しい潮流を作った。
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