「お金の起源は物々交換」信じる人が知らぬ大欠陥 もっともらしい説だが「歴史的事実はない」

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ここでは人間の頭脳の諸生産物が、それ自身の生命を与えられて、相互の間でまた人間との間で相関係する独立の姿に見えるのである。商品世界においても、人間の手の生産物がそのとおりに見えるのである。私は、これを物神礼拝と名づける。(エンゲルス編『資本論』(一)、向坂逸郎訳、岩波文庫、1969)

ここでマルクスは、人間は自分で考えたりつくり出したりしたモノの出来栄えに魅了され、これを崇め服従する心理を持っているのだと述べています。そして、商品、ひいてはその究極の形である貨幣を人間が欲しがる様相を「フェティシズム(物神礼拝、物神崇拝)」と名づけたのです。

「おカネの起源=物々交換説」では、おカネは欲しいモノを買うための手段であり、おカネそれ自体に魅力はありませんでした。しかし実は、おカネには人を惹きつける魔力があり、人は自分たちがつくり出したおカネ自体を崇拝している。だからおカネがどんどん欲しくなり、おカネをどんどん集めるのだ、とマルクスは言います。

さらにマルクスは、とくに資本の元手を増やす利子に着目して、次のように述べました。

……利子が、資本の本来の果実として(中略)現われる。(中略)それは、貨幣が、あるいは商品が、再生産から独立にそれ自身の価値を増殖する能力[であり]──光りかがやく形態における資本神秘化である。(前掲『資本論』(七))

実際には人間自身が、貸したおカネに利子をつけたり、投機によって短期的な利益を求めたりしています。

ところがマルクスは、おカネにはそれ自体がおのずと増えていくように見えてしまうという「神秘化」が起こると言うのです。それが高じて私たちは、ただおカネを持っているだけで「あの人すごいな」と思ったり、通帳の残高が増えるだけで胸がときめいたりする。これこそ「おカネフェチ」です。マルクスはフェティシズムという考え方によって、現実の人間とおカネとの関係をうまく言い表しました。

メソポタミアの会計業務の記録からわかること

さて、「おカネの起源=物々交換説」が、経済学界以外では否定されているという話をしました。では、証拠のある歴史的起源は、どういうものなのでしょうか。

先ほど登場したデヴィッド・グレーバーは、『負債論』(2011)の中で別の説を唱えています。それは、紀元前3500年のメソポタミアの、会計業務の記録が見つかったことで生まれた説です。

その記録からわかるのは、当時の貸借契約、つまり「貸し借り」の約束についてです。例えば、大麦畑で労働してくれる人に、雇用主は「大麦が収穫できたら、働いてくれた分を渡すよ」と約束しました。これは、雇用主が労働者に「労働力を借りている」ことになります。

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