「お金の起源は物々交換」信じる人が知らぬ大欠陥 もっともらしい説だが「歴史的事実はない」

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Bさんは、何だかよくわからないけれど、その金属片と服を交換しました。そのあと、食器を持っているCさんと出会いました。そこで同じように、「これはあとで使えるものなので、食器と交換してください」と言って、金属片と食器を交換してもらいました。こうして、次の人、また次の人の手に金属片が渡っていきました。

この「物々交換」がおカネの起源だという説は、長い間、まことしやかに語られてきて、今も多くの人に信じられています。何だかもっともらしい話ですね。

しかし、この説には重大な欠陥があります。証拠が何一つ見つかっていないのです。そのため、歴史学者や人類学者、考古学者や古銭学者も、「そんな歴史的事実はない」と否定してきました。

デヴィッド・グレーバー(1961~2020)というアメリカの人類学者は、次のように言っています。

数世紀にもわたって研究者たちは、この物々交換のおとぎの国を発見しようと努力してきたが、だれひとりとして成功しなかった。(『負債論』酒井隆史監訳、高祖岩三郎・佐々木夏子訳、以文社、2016)

しかし経済学者たちは、「いや、これでなくちゃおカネの起源は説明できないから」と、彼らの意見を無視してきたのです。

「おカネの起源=物々交換説」はところどころヘン

経済学者たちが信じてきたおカネの起源説には、もう1つ弱点があります。この起源説の中では、おカネ(金属片)は人びとの間をぐるぐる回っているだけで、人はおカネそのものを欲しがっていません。何かモノが欲しいから、おカネを便利に使っているだけ。仮にAさんとBさんがお互いに相手の欲しいモノを持っていたとすれば、おカネは必要ないのです。

しかし、現実世界においては、誰もがおカネそのものを欲しがり、おカネそのものを目的としているようです。なので、現実に人びとが欲するおカネと、この起源説のおカネとの間にはギャップがありすぎます。おカネの性格が、現実と矛盾しているのです。今、経済学界で一般に信じられている「おカネの起源=物々交換説」は、ところどころヘンなのです。

この「人はおカネそのものを欲しがる」というおカネの性格について、『資本論』で有名なカール・マルクス(1818~83)が興味深いことを言っています。

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