「3人目のダウンタウン」、2人との絆が続いたワケ 吉本元会長・大崎洋さんと松本人志さんの関係性

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大﨑さんはあえて2人の間に入り込んで“3人目のダウンタウン”のようなポジションで接していたそうです。そのポジションもまた大﨑さんの居場所であり、ダウンタウンにとっても大﨑さんのいる空間が2人の居場所なのでしょう。

「東京進出」も嫉妬で引き裂かれる

そんな大﨑さんとダウンタウンが一時的に引き裂かれてしまったのが1989年。ダウンタウンが本格的に東京進出を果たした一方で大﨑さんは「大阪残留」を命じられてしまいました。仕事がないころから一緒にやってきて絶好のチャンスが訪れたにもかかわらず、上司の嫉妬という何とも残念な形で引き裂かれてしまったのです。

それでも大﨑さんは悔しさを感じながらも、松本さんが会社に対して怒りの感情を持ってくれたこともあって、その人事を承諾。気持ちを切り替えて大阪に残り、ほかの若手芸人たちの居場所を作っていったそうです。

「悲しかったり悔しかったりもあったけど、淡々とコツコツとやるしかないと思ったんですよね。そしたら誰かが声かけてくれたり、助けてくれたり、アドバイスくれたりして気づきがあったりとかいろいろ出てくるわけで。何か変な言い方だけど、『淡々とコツコツ』は頭がボーッとしていてもできることじゃないですか」(大﨑さん)

その後、大﨑さんも東京に異動し、さまざまな事業を手がけていきました。ダウンタウンはバラエティーだけでなく、松本さんは本や映画、浜田さんはドラマや歌などに活躍の場を広げ、大﨑さんは2人を尊重して任せながら、少し離れた場所からサポート。アプローチの方法を変えながらも2人の居場所を作り続けてきました。

振り返ること約4年前、闇営業騒動が世間を騒がせたとき、松本さんは「僕は大﨑洋とずっとやってきましたので」「大﨑さんがいなかったら僕も辞めるので。ウチの兄貴なんで」などと話していました。これらの言葉は大﨑さんが「ダウンタウン」というコンビ名が決まる前から松本さんの居場所を作り続けてきたからではないでしょうか。

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