東日本大震災で過去最大・最長期間の災害医療に従事、NPO法人TMAT・橋爪慶人理事に聞く
徳洲会は全国に66の病院を擁する日本最大の民間医療機関グループ。1995年1月の阪神・淡路大震災時の災害医療活動をきっかけにグループ内に災害医療ボランティア支援チーム「TDMAT」が組織され、その後の台湾921大地震、新潟中越地震、スマトラ沖地震・津波災害などに際し、国内外で活動をしてきた。
その活動が評価されて2005年7月、TDMATを母体にNPO法人「TMAT」が設立され、その後もパキスタン北部地震、ジャワ島中部地震、さらには昨年のハイチ大地震など、大規模な自然災害時に多数の医療スタッフを被災地に派遣してきた。東日本大震災で、TMATはどのような活動に従事したのか。橋爪慶人・NPO法人TMAT理事(弘生会病院院長)に聞いた。
--東日本大震災では、災害医療支援活動にどのように取り組んできましたか。
徳洲会グループでは、1995年の阪神・淡路大震災以来、災害医療支援活動に継続的に取り組んできました。
今回の東日本大震災では、地震発生の2時間後に四街道徳洲会病院(千葉県四街道市)から被災地に向けて災害医療支援チームTMATが出発し、その日のうちに関東・東北から4チームが出動しています。初動の目的は被災地での情報収集です。
橋爪慶人・NPO法人TMAT理事(弘生会病院院長)
当初、グループ病院である仙台徳洲会病院も診療の継続が危ぶまれていたこともあり、まずは仙台徳洲会病院で支援を行い、仙台徳洲会病院の診療態勢を整えることができました。
仙台徳洲会病院への支援に続き、TMATでは今回の広範な被災地を4つの地域(仙台市内、石巻方面、気仙沼方面、相馬方面)に分け、情報収集のため先遣隊を派遣しました。そして各地の情報を持ち寄ったうえで、もっとも医療ニーズが高い地域として気仙沼方面を選定。現地での医療ミーティングに参加するとともに、市内で最も被害が大きい地域にある気仙沼市立本吉病院に医療チームを派遣し、診療を開始しました。
そこでの支援活動を継続しつつ、さらに情報収集を続け、気仙沼方面では、気仙沼市階上(はしがみ)地区や宮城県南三陸町、岩手県大船渡市にも医療チームを派遣しました。